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東京地方裁判所 平成8年(特わ)2513号 判決 1999年5月28日

主文

被告人Aを懲役二年六か月に、被告人Bを懲役二年にそれぞれ処する。

被告人両名に対し、未決勾留日数中各九〇日を、それぞれその刑に算入する。

この裁判確定の日から、被告人Aに対し四年間、被告人Bに対し三年間、それぞれその刑の執行を猶予する。

理由

(犯罪事実)

第一  関係会社の概要、被告人両名らの経歴、Cらの任務等

一  D株式会社の概要等

1 D株式会社は、不動産の売買、賃貸、仲介、管理及び鑑定評価等を目的としていて、E建設株式会社として昭和四五年八月に設立され、本店を神奈川県茅ケ崎市とし(甲一三三)、Dジャパン株式会社との商号変更を経て、昭和六〇年一〇月に前記商号に変更し(以下これら前身の会社も含めて「D」ということがある。)、昭和六三年八月以降東京都中央区日本橋浜町<番地略>を本店所在地とし、平成元年一月以降資本金を一五億三〇〇〇万円としていたが、本件から約二年後の平成五年一二月一〇日に破産宣告を受け、平成八年一月二四日に破産廃止決定を受けた。

2 被告人Aは、D設立以来、平成二年一一月に代表取締役会長を辞任するまで、途中、同年六月に法人税法違反により逮捕・起訴されたことから、同年八月に代表取締役社長を辞任して代表取締役会長に就任することもあったが一貫してDの代表取締役を務め、いわゆるオーナー社長として社内的に絶大な権力を保持し、右代表取締役会長辞任後もDの経営上の重要事項の決定に参画して同社を実質的に経営していた。

3 被告人Bは、新日本証券株式会社審査部長等を経て、昭和五七年一二月に、株式店頭公開の準備を進めていたDへ出向し、取締役、代表取締役副社長を務めた後、被告人Aの前記社長辞任に伴って代表取締役社長に就任し、平成四年四月に代表取締役会長に就任し、前記Dの破産までその地位にあって、Dの業務全般を統括していた。

二  F株式会社の概要等

1 F株式会社は、平成元年九月に、被告人両名らの共同出資による六〇〇〇万円を資本金に、金銭の貸付けなどを目的とし、Dと同所に本店を置いて設立され(以下単に「両社」というときは、D及びFのことを示す。)、平成二年七月に、Dに全株式を買い取られてその一〇〇パーセント子会社となったが、Dの破産に伴い、事実上の倒産状態となった(甲六七、七七、一三四、乙一一等)。

2 被告人Aは、設立時にFの代表取締役に就任し、平成二年八月に、Dと同様右代表取締役を辞任したものの、Gを経て被告人Bが平成三年二月に右代表取締役に就任して、同社の業務全般を統括するようになった後も、経営上の重要事項の決定に参画して同社を実質的に経営していた。

三  JHL株式会社の概要、Cらの経歴・任務等

1 JHL株式会社(以下「JHL」ともいう。)は、昭和五一年六月に、株式会社日本興業銀行(以下「興銀」という。)、株式会社日本債券信用銀行等を母体として設立された、不動産、不動産に関する権利又は有価証券を担保とする住宅資金貸付け及びその他の金銭の貸付け等を目的とする住宅金融専門会社(以下「住宅金融専門会社」のことを「住専」という。)であり、東京都千代田区有楽町<番地略>(本件後の平成五年七月一九日以降は東京都中央区日本橋茅場町<番地略>)に本店を置き、本件当時の資本金は、五二億三七三〇万円であった(甲一〇、四七、一三三)。

JHLは、当初住宅ローンを営業の主力としていたが、都市銀行等が右業務に進出してきたので、他の住専同様に、いわゆる事業ローンの分野に営業を転換するようになり、昭和五八年六月に、同年二月ころから設けていたローン開発室を発展させて、賃貸用不動産、事業用不動産の取得資金及び販売用不動産の仕込資金等の融資に関する業務を分掌するローン開発部を本社機構として置いた。同部は、いわゆるバブル絶頂期に、不動産業者に対する大型事業ローンの貸出し等を積極的に行って、JHLの業務拡大に貢献した(甲一八、二六等)。しかし、その後、JHLは、不動産市況の低迷等による巨額の不良債権を抱えて平成八年八月三一日に解散し、同年一〇月一日、その保有債権を株式会社住宅金融債権管理機構に譲渡した(甲三九、五三等)。

2 Cは、興銀を退職した直後の昭和五一年七月に、発足間もないJHLの常務取締役に、次いで昭和五六年六月に代表取締役社長に就任し、JHLの業務全般を統括し、同社の行う金銭の貸付けに当たっては、同社の貸出規定等の定めを遵守するのはもとより、予め貸付先の営業状態、資産、資金使途等を精査するとともに、確実にして十分な担保を徴求するなどして貸付金の回収に万全の措置を講ずるなど同社のために職務を誠実に実行すべき任務を有していた。そして、本件直後の平成四年一月に代表取締役会長に就任したが、同年六月に代表取締役を辞任し、平成五年六月に取締役を退任して相談役となり、平成八年三月に相談役を退職した。

3 Hは、昭和五四年一月に興銀からJHLに出向し、昭和五八年六月に取締役に就任し、昭和六〇年一〇月にローン開発部担当役員となり(甲一七(特に四六七、四八四丁))、昭和六二年六月に常務取締役に昇進し、事業ローン案件の貸出しに関する審査及び実行などの同部の貸出しに関する業務全般を統括し、C同様の任務を有していたが、本件後の平成四年六月に常務取締役を退任すると同時にローン開発部の担当を外れ、平成五年六月に取締役を退任した。

4 Iは、平成元年一二月に興銀からJHLに出向し、前任のJを引き継いでローン開発部長に就任し、事業ローン案件の貸出しに関する審査などの同部の貸出しに関する業務を統括し、C同様に任務を有していたが、本件後の平成四年六月に興銀に復帰し、平成八年六月に興銀を退職した。

5 Jは、昭和五四年六月にJHLに入社し、不動産鑑定士の資格を得、昭和六〇年四月にローン開発部勤務となり、次長等を経て平成三年四月に同部副部長に昇進し、事業ローン案件の貸出し等同部の貸出しに関する審査等を担当し、C同様の任務を有していたが、体調を崩して本件後の平成四年五月にJHLを退職した。

四  HLK株式会社の概要

HLK株式会社(以下「HLK」という。)は、昭和六〇年一二月にJHLの子会社のL株式会社(以下「L」という。)が全額出資し、不動産の売買、仲介、鑑定評価及び金銭の融資等を目的として設立された会社であり、資本金は五〇〇〇万円であった(甲四七、一三三等)。

第二  犯行

被告人両名は、JHLのC、H、I及びJ(以下、これら四名を「Cら四名」ということがある。)と共謀の上、Dの利益を図るなどの目的をもって、別紙一覧表記載のとおり、平成三年八月三〇日(以下年度の記載のないのは、平成三年である。)ころから一一月二九日ころまでの間、四回にわたり、Cら四名において、JHLで、FがJHLの系列会社であるHLKに対して負担する一切の債務についてJHLが連帯保証する旨を予約(HLKからの請求があり次第、直ちにJHLにおいてFの債務につき連帯保証人となり、保証債務を履行するというもの)した上でJHLからHLKに金銭を貸し付け、右貸付金を用いて同社をしてFを経由してDに貸し付けさせる方法により、Cら四名の前記各任務に背き、同社には担保として提供できる資産がなく、右各貸付金の返済能力がないことから、右の方法でJHLがHLKに貸付けを行い、更にHLKからFを経由してDに貸し付けさせれば、後日右保証予約が完結してJHLがHLKに連帯保証債務を負担し、かつ、保証債務の履行に基づく求償権の行使による貸付金の回収も危ぶまれる状態にあったから、右の方法による貸付け及び保証予約を行ってはならないのに、右保証予約をした上で、JHLからHLKに前記一覧表記載の各金銭を貸し付け、いずれも即日、同社をしてFを経由してDに各同額を貸し付けさせて、JHLに合計金額一八億七〇〇〇万円の損害を加えた。

(証拠)<省略>

(事実認定の補足説明)

本件の外形的事実に争いはないものの、被告人両名の弁護人は、犯罪事実に記載した各融資(以下この融資全体を「本件融資」という。)は通常の適法な金融取引であった、被告人Aは本件融資に関与していないなどとして、被告人両名は無罪である旨主張し、被告人両名もこれに沿う供述をする。

しかし、裁判所は、前記犯罪事実を認定したが、本件は、商法の特別背任の事件であって、身分のない被告人両名が、身分者であるCら四名との共謀を介して共同正犯としての責任を問われており、また、身分者側のJHLから被告人側のDへの継続的な融資が行われていた中で、特定の時期になされた本件融資が特別背任として訴追されているから、まず、基本的事実関係を、主に本件融資前、本件融資中、本件融資後に分けて、DとJHL双方の観点から検討し、次いで、身分者であるCら四名の特別背任の成否について検討し、右検討を前提に、被告人両名の特別背任の成否について検討し、最後に、それまでの認定に用いた関係者の供述で弁護人が信用性が争っている点について検討するといった形で、関係証拠を総合して、必要な限度で補足して説明する。

第一  基本的事実関係

一  Dの経営状況の悪化等

1 DがJHLから昭和六二年一二月に運転資金の融資を受けるまでの経緯

(一) Dの業態の変化に伴う財務状況の悪化等

Dは、設立以来、神奈川県内で、個人向けの土地付き住宅の建築販売中心の営業で順調に業績を伸ばし、このいわゆる戸建て販売では首都圏でもトップクラスの販売実績を上げるようになっていた。しかし、業界大手の参入等により販売実績の伸びが頭打ちになるなど経営環境が変化し、また、被告人AがDの経営を拡大して株式の店頭公開を目論んだりしたことから、昭和五八年ころから(乙二)東京都内に進出し、商業ビル、マンションの建築販売等の大型物件を次々手がけて業態を変化させ、事業を拡大していったが、経営の中心であった被告人Aを始め関係者に大型物件に関する不動産取引のノウハウが不足していて、しかも、東京進出が遅かったため、業者間の土地買占め競争に遅れをとり、条件の良くない物件も高値で仕入れざるを得ない状況にあった(甲一九、四三、四六、四八、五五、六二、六三、乙二、三、一一、弁五七・九四五六丁、M・第三回公判(以下第〇回は公判回数を、〇丁は速記録の丁数を示す。)・六、七丁、被告人B・第六回・一四四、一四五丁、被告人A・第七回・二三三、二三四丁等)。

Dはこのような事業拡大の結果、営業収入を、各年度一月期の損益計算書上、昭和六一年で約一八七億三一六三万円、昭和六二年で約四九一億五一四八万円、昭和六三年で約七七〇億六三四一万円と僅か三年間で約四倍に急増させた(甲六三、六四)。しかし、実際は、取引の実質を注意深く評価するのではなく、販売したという実績を専ら重視する実績至上主義ともいえる経営体質を持った被告人Aが、売上げ増加を熱望し、Aイズムともいうべき厳しい営業ノルマを営業担当者に課したため、顧客への正規の販売が難しい不良在庫の不動産を他の不動産業者と相互に高値で売買し合ういわゆる「バーター取引」(同取引は、Dが保有する物件を高値のままで売却でき、表面上高い売上げ利益を計上できる反面、相手方から相応の高値の物件を仕入れるので、結局Dには売却代金が殆ど入らず、しかも、右表面上の利益に応じた税金の支払い義務が生じ、また、右仕入れ代金を借入金に頼ることが多いため、却って、Dの資金繰りを苦しくさせる結果となっていた(甲六六・七丁、乙一一・五ないし七丁等)。もっとも、「バーター取引」には、被告人両名らが述べるような、在庫の品揃えを充実させるための、仕入れ手段として健全と評価し得るものもあり得るが、本件では、このような態様のバーター取引が仮にあったとしても、今述べた結論に影響を及ぼすようなものではなかったと認められる。)や買戻し特約付き売買(右売買は、売却しにくい物件を、後日買戻す旨の特約を付けて高値のままで売却することであり(乙二・一三丁等)、一旦、表面上、高い売上利益を計上できるが、右特約を行使されると、当該不動産をDが引き取らざるを得ず、結局は在庫として残ることになるばかりか、買戻し資金を借入れに頼ることになり、また、バーター取引の場合と同様、売上に応じた税金の支払い義務も生じ、Dの資金繰りを苦しくさせる結果となっていたとみられる。)による大型物件の取引が繰り返されており、前記の急増した営業収入の中には、これらの取引による一時的な表面上の多額の利益も含まれていた(甲一九、二〇、五五、六〇、六二、六三、乙二、三、一一、弁五七・九四六四丁、M・第三回・一六、一七、五三ないし五六丁、被告人B・第六回・一四五ないし一四八丁、同・第七回・二七七ないし二八〇丁、被告人A・第七回・二三四ないし二三六丁、I・第一八回・一二四二、一二四三丁等)。

このように、いわゆるバブルの絶頂期とされる昭和六三年初めころでも、Dの売上げには多額の不健全な取引分が含まれていた。

(二) この間、Dは、物件の取得資金をJHLを始めとする金融機関からの借入れに頼り、借入金残高を、各年度一月期の決算報告書上、昭和六一年で約一〇四億八五三七万円、昭和六二年で約六八五億二二九四万円、昭和六三年で約一三七六億〇五四四万円と、約一三倍に急増させた(甲六三、六四、乙二、一一等)。

そして、Dは、前記のとおりバーター取引等を繰り返したほか、好条件で売却できない大型物件は長期間保有し続け、しかも、資金繰りの計画も立てずに余剰資金は物件の仕入れ資金に廻し借入金の返済に充てることがなかったため、借入金の金利負担も増大するなどし、昭和六二年後半から、資金繰りに苦しむようになった(甲一九、二〇、四三、六三、六四、乙二、一四、被告人B・第六回・一四五丁、N・第二一回・一五八四ないし一五八六、一六四一、一六四二、一六四六、一六四七丁等)。

そのため、Dは、バブル期最中でも昭和六二年一二月末には、一般経費や利払等の月末の運転資金(以下特に断らない限り、運転資金とは右の趣旨のものをいう(弁四四・二二、二三丁、C・第一〇回・四七七ないし四七九丁、I・第一六回・九四二、九四四丁、同・第一八回・一二六〇ないし一二六七丁等)。なお、Cらは、公判で運転資金の意味につき、これと異なる説明もしている(C・第九回・四四五以下、四七三丁以下等。被告人B・第二三回・一七四〇丁は、設備投資以外は全て運転資金という。)。)に不足し始め、当時Dの副社長であった被告人Bらが、被告人Aの指示の下に、当時のいわゆるメインバンクであった株式会社住友銀行に支援を求めたが、同銀行は既に昭和六二年三月ころに実施したDに対する内部調査で、借入金が急増して金利負担が重く、これらが収益の足を引っ張っている上、安定収入に乏しく、長期借入金返済余力も乏しい等の問題点が指摘され、「与信は見返り重視で対処する必要がある。」との調査結果を得ていたこと(甲九五・資料8)から、消極的な対応をした上、同銀行新宿支店長が、同年一二月下旬ころに、Dが改善しなければ会社が潰れるほどの問題を抱えているなどと、被告人Aを激しく叱責するなどした。同銀行と並行して支援を求められたJHLも、当時のローン開発部長Jら担当者レベルではDへの支援に強い難色を示したが、被告人AがCに直接要請して、ようやく、同月二五日に、一五億円の融資を受けて急場をしのぐことができた(甲二〇、四三、六四、九五、乙二、三、一一、一四、被告人B・第六回・一五九、一六〇丁、N・第二一回・一五八六ないし一五九二丁、同・第二二回・一六八一ないし一六八九丁等)。

なお、被告人Bの弁護人は、Dが、その業態の変化によって借入金が増大して重い金利負担に苦しむようになり、昭和六二年一二月にJHLから運転資金の融資を受けるようになったことは、概ね認めるが、運転資金の融資を住友銀行ではなくJHLから受けたのは、右融資について住友銀行に消極的対応をされたからではなく、メインバンク(住専は銀行ではないが、いわゆる「メインバンク」的な活動をする金融機関との趣旨で用いる。以下も同様である。)としてJHLの方が望ましいというDの積極的・意欲的選択の結果であって(被告人B・第七回・二一五、二一六丁、被告人A・第七回・二三七、二三八丁等)、Dの経営悪化を示す事情ではない旨主張する(被告人Bの弁論要旨一六ないし二四、七二ないし七四頁等)。

しかし、前記のとおり、DがJHLから運転資金の融資を受けるようになったのは、JHL以外に適当な借入先がなかったためであったと認められ、被告人両名の弁解等を前提としても、住友銀行から運転資金を借り入れると、同銀行にDの経営に干渉されるということだから(被告人B・第六回・一五九、一六〇丁、被告人A・第七回・二三七、二三八丁、N・第二一回・一五八八、一五八九丁、同・第二二回・一六八四ないし一六八六丁)、右融資開始の事実は、JHLの方がメインバンクとして好ましかったというのではなく、急激な事業拡大・業態変化等のためDの経営状況が必ずしも好ましい状況になかったことを推知される事情であったというべきである。

そして、右融資の際のDの経営状況は、Jらの調査結果によって(甲二〇・添付資料①、四三等)、大半の物件の取得価格が時価を上回るなど高値買いであり、しかも、売却見通しのたたない大型在庫(後記高田三丁目の用地や相模原市内のホテル等)が多く、資金繰りを圧迫しており、丼勘定的な資金繰りのため慢性的な金繰り繁忙状態にあり、今後も資金繰りに支障を来す可能性があること、営業と財務の連携に欠け、営業主導の場当たり的な資金手当となっていることなどが明らかとなっていた。

また、昭和六三年の一月から三月にかけて、少しでもDの資金繰りを好転させようとのCの計らいで、Dが在庫として抱えていた東京都渋谷区神宮前所在の物件(以下「神宮前物件」という。)等を時価よりも高値で、JHLの系列会社のLに買い取ってもらった。しかも、平成元年四月ころ以降のKらとの協議で、Lが、右各物件を売却できないときはDで買い取り、右各物件を売却できても、売却損ないし売却までの金利負担に伴う損失がLに生じた場合にはDが右損失を補填することなどを合意し、その後、Lは、神宮前物件については、平成二年一二月になってようやく、買主の買取資金をJHLに融資してもらった上で、Dからの買取価格を下回る価格で売却して損切り処分し、それ以外の物件についても、平成元年八月ころに、Dからの買取価格をわずかに上回る程度で売却できただけで、売却までの金利負担に伴う損失がLに生じるなどしたが、後記Dの経営の窮状を理解したJHL側から右合意に基づく補填を求められることはなかった(甲二〇、四三、六四、一〇五、一二二、乙三、一四、被告人B・第七回・三一七丁、同・第二三回・一七八四、一七八五丁等)。

このように、バブル期の最中でありながら、Dの経営状況は、高値の不良在庫を多く抱え、慢性的な金繰り繁忙状態にあって、今後も資金繰りに支障を来す可能性があるなど苦しい状態にあり、特にJHLの融資等の支援に依存する傾向を強めていた。

2 昭和六二年一二月以降平成三年一月末ころまでのDの経営状況悪化の推移

(一) 昭和六二年一二月以降平成二年一月末までのDの売上げ、資金繰りの状況等

昭和六二年一二月に資金繰りに窮したDは、大型物件を早期に売却して借入金を減らし、新たな物件の仕入れを抑えて余剰資金を蓄積するなどの改善を図る必要があったのに、被告人Aは、これらの改善策を講じず、運転資金の欠乏を一時的なものと楽観視し、前記業態変更の失敗を省みることなく、大型物件を売り渋り、売上げ増加に固執して新たな物件も仕入れ続け、バーター取引も繰り返していた(甲六四ないし六六、乙二、一一)。そのため、Dは、決算報告書上、平成元年一月期で約七五六億五一五七万円、平成二年一月期で約七八九億八八四五万円と高い営業収入を計上したが、バーター取引等による見せかけの売上げも含まれていて(甲六五、六六)、Iから、資金繰りを苦しくするバーター取引を止めるように注意を受けるなどしていた(甲六六・六丁以下、弁五九・九六二九ないし九六三一丁、I・第一六回・九五七丁)。

しかし、Dは、大型不良在庫の売却により余剰資金が生まれることに期待して、昭和六三年四月に見込まれていた三〇億円もの納税資金(甲二一・六五九丁)の手当てをしないなど、適切な資金調達計画も立てずにバーター取引等を繰り返したため、慢性的な金繰り繁忙状態が解消せず、積極的に支援してくれるJHLに対し、昭和六二年一二月以降も毎月のように月末の運転資金融資を求めていた(甲二一、二七、六五、乙一四)。

Dは、JHLの仲介による神宮前物件等の前記売却、比較的売却しやすい所有不動産の売却等によって、借入残高を、JHLからのものも含めて、昭和六三年一月期末時点の前記約一三七六億〇五四四万円から平成元年一月期末時点で約一一一四億三九〇〇万円、平成二年一月期末時点で約九九六億一七四一万円と逐次減少させたものの、なお高い水準の借入残高があり、支払利息も、平成元年一月期末時点で約八一億円、平成二年一月期末時点で約七五億円と非常に大きく、代金支払の決裁等に疑問がある旨Dの監査法人である保森(やすもり)会計事務所(以下単に「会計事務所」という。)から指摘されたバーター取引による売上げ等が各期末に生じなければ、赤字決算必至の状態であった(甲六五、六六、七五、井上・第三回・二七丁等)。

しかし、Dは、被告人Aの赤字決算を回避する強い意向に基づき、バーター取引による売上げ等によって黒字決算を保ったため、利益率(営業収入に対する営業利益(営業収入から営業費用を差し引いたもの)の比率)が、昭和六三年一月期の一五パーセントから平成元年及び平成二年の一月期には約9.8パーセントにまで落ち込んだ(甲六五、六六)。

(二) 平成二年二月以降平成三年一月末までのDの経営状況等

Dは、引き続き、所有不動産の売却をするなどして借入金圧縮を進め、平成二年二月から同年四月までは月末に運転資金の融資を受けることはなかった(甲三七・二六丁、六六・一〇、一一丁、九八・一八丁、乙四、一四・一九丁、M・第三回・二七丁、被告人B・第六回・一六二丁、同・第二三回・一七三九、一七四〇丁、被告人A・第七回・二五一、二五二丁、I・第一六回・九六一丁、同・第一八回・一二一〇ないし一二一四丁、同・第二〇回・一四七三ないし一四七七丁、N・第二一回・一六〇七、一六〇八丁、同・第二二回・一六九〇丁等)が、売却の比較的容易な物件が売却できただけで、高値或いは「バーター取引」で取得した大型物件等の売却困難な物件が在庫として残ったため、借入金圧縮は長くは続かず、右中断機関を除いて昭和六二年一二月以降ほぼ毎月のようにJHLから多額の月末の運転資金の融資を受けながら、資金繰りは一向に好転しなかった(甲六六、七二、乙四、一四、I・第一八回・一二六〇ないし一二六七丁等)。

また、Dの営業力は、被告人Aのワンマン杜長としての社員に対する強い指導力・信用に基づいていたのに、被告人Aが平成二年六月に前記法人税法違反で逮捕・起訴されたため、Dは信用を落とし、頼みの営業力もダメージを受けた(甲二一等)上、大蔵省が同年三月に発動したいわゆる総量規制(不動産業向け貸出しについて、公的な宅地開発機関等に対する貸出しを除き、増勢を総貸出しの増勢以下に抑制することを目途として金融機関において調整を図るよう求めるもので、金融機関による不動産業への融資を規制するもの。乙一一・九丁、弁一〇、一七・二〇丁)等の影響により、不動産市況が低迷し始め、しかも、前記借入金圧縮のための販売活動の結果として売却困難な物件が在庫として残り、平成三年一月期の約六〇三億円の在庫物件は殆ど売却できない状態になって不良資産化したため、平成二年後半からDの業況は極端に悪化し、JHLから運転資金の融資を受けなければ毎月の赤字収支を回避できなくなって、平成三年一月期中七七億円を越える支払利息に苦しむようになり、運転資金融資のJHLへの返済も、平成二年に入って滞りがちであったが、同年九月以降は全く返済できなくなった(甲二一、二七、二九、三七、五五、五七、六六、七二、九二、九八、乙四、一一、一四、弁五、七、四五・二七丁、O・第三回・一一、一二丁、被告人B・第六回・一七一丁、同・第八回・三五六、三五七丁、同・第二三回・一七五四、一七五五丁、I・第一六回・九五一、九五二丁、I・第一八回・一二一九ないし一二二五丁等)。

Dが在庫として抱えていた高値のホテル等の物件の売却状況についてみると、平成二年一一月から平成三年二月にかけて売却先としてようやく探し当てた買主が、株式会社ダイエーファイナンス等他の金融機関から購入資金の融資を断られたため、Dは、JHLの協力を得て、ダイエーファイナンス等の金融機関がHLKに約四〇億円或いは一〇億円を融資し、同時に、右融資金の回収に懸念が生じないようにJHLがHLKを指導する旨の念書を入れたり、保証予約(債権者からの請求があり次第、直ちにJHLがHLKの債務につき連帯保証人となり、保証債務を履行するというもの)を締結し、HLKが右融資金をFに融資して、Fに買主の購入資金を確保させるという手順で融資を実行して、何とか売上げを計上できる状態であった(甲一二、二九、四八ないし五〇、八〇、九〇、一〇一、I・第一八回・一二二五ないし一二三〇丁等)。

(三) 平成三年一月期のDの経営状況

Dの経営状況は、これまでみてきたように、昭和六二年一二月以降資金繰りに支障を来たし、毎月のようにJHLから運転資金の融資を受け、平成元年及び平成二年の一月期は期末のバーター取引等によって何とか黒字決算とするほど苦しい状態であったが、平成二年の後半からは、時期を追う毎に急速に悪化し、事実上の破綻状態に向かっていた。平成三年一月期の決算報告書によると、表面的には、約九〇七億四五〇〇万円と前期の平成二年一月期の約七八九億八八四五万円よりも増加した過去最高の営業収入を上げ、経常利益も約六億三八九三万円を計上しているものの、その直前の平成二年一二月末の時点では、約三二億円もの経常損失があって赤字決算が必至であったが、Dの信用力低下を恐れた被告人Aの赤字決算回避の強い指示により、被告人BらD関係者らが「バーター取引」等によって見せかけの売上げを計上しようとしたものの、会計事務所から妥当でないとして一部の売上げ計上が認めてもらえなかったため、被告人BらDの経理担当者が相談し、売上げ計上の基準を、従前の引渡基準(不動産取引では、代金の大部分が支払われたときに物件を引き渡すのが通常なところから、物件引渡時に売上げ計上を認めるもの)から契約基準(不動産の売買契約を締結した時点で、代金の支払が未了でも売上げ計上を認めるもの)へ変更することによって、前記約六億三八九三万円の経常利益を作出したものであって、右売上げ基準の変更をしなければ、約一六億〇四一六万円の経常損失であった(甲六六、七五、七六、乙四、一一、一二、被告人B・第六回・一六七、一六八丁、N・第二一回・一六四二、一六四三丁等)。しかし、不動産取引は、一般的に高額で、代金未払いの危険が常にあるため、代金支払い未了の段階で売上げ計上を認めるのは、小規模会社以外では好ましくないとされていて、Dも従前の引渡基準を維持すべきであって、会計事務所が「売上げの計上基準を引渡基準から契約基準に変更するのは相当ではない。その結果、売上げ高が過大に計上されている。」との反対意見を監査報告書の中で付している(甲六六、七五、七六、乙一一、一二)ことからも明らかなように、前記決算は、経理操作でDの経営状況を黒字としたものに過ぎなかった。

また、平成三年一月期の決算報告書によると、前記約九〇七億四五〇〇万円の営業収入を前提としても、利益率が約8.2パーセントと、前期の約9.8パーセントと更に悪くなっており、会計事務所から過大と評価された前記売上げを除くと、利益率は約六パーセントに留まっていた(甲六六)。

(四) 平成三年二月以降本件融資直前ころまでのDの経営状況

平成三年二月以降のDの売上げは、相変わらず物件の高値買いもあって(被告人B・第六回・一七二、一七三丁)、保有物件が不良在庫で、前記総量規制の効果等による不動産市況の低迷が続いたため、三月の約二七億四〇〇〇万円(弁四八)が最高で、八月、九月は一〇億円にも満たないというように急激に落ち込み、一か月当たり一二億円程度の利払及び販管費等の一般経費を賄えない状況に陥り、一月に約四二億円あった現金預金を七月に一九億円余りにまで取り崩してもなお生じる資金不足を後記のJHLからの運転資金の迂回融資等で補ったことによって、一月末で約七八二億円まで圧縮した借入金総額が六月末の時点で約八三〇億円にまで再び増加し、金利負担も更に重くなっていた(甲二八、五一、五四、六六、九八、弁五、七、四八、六〇、・九六四〇、九六四一丁、I・第一八回・一二四三、一二八四丁、同・第一九回・一三六九丁、N・第二二回・一六九七、一六九八丁等)。

また、三月にJHL以外の金融機関からの借入金二六億五〇〇〇万円の返済期限を延長した(甲九八・添付資料五四)ほか、JHLから、二月に一〇億円、後記迂回融資開始後の四月に一八億円、五月に八億五〇〇〇万円、六月に一〇億円、七月に一八億円の各月末運転資金の融資を受け、七月には被告人A個人の納税資金約四億七〇〇〇万円もJHLから迂回融資を受けており、本件融資直前の八月下旬には、他の金融機関から、Dの業績が悪化していて改善される見込みもないことを理由に運転資金の融資を拒絶される(甲九六・添付資料一二)などしていて、JHLからの融資がなければ資金繰りがつかない状況であった(甲一四、二二、二四、二八、九六、九八、乙一九、C・第一一回・六四八丁以下等)。

被告人Aも、七月ころ以降、当時のDの取締役副社長兼秘書室長で自己の秘書的立場にあったOを通じて、Dの役員らに対し、「難しい環境だが、死ぬ気になって頑張って欲しい。」「会社を潰さないで欲しい。」などと告げ、Dの経営状況が厳しいことを端的に窺わせていた(甲五四、乙一二等)。

このようにDの経営状況は、平成三年に入っても回復することはなく、時期を追う毎に悪化の一途を辿っており、本件融資直前には事実上の破綻の様相を呈していた。

(五) 本件融資中のDの経営状況と被告人両名の連絡状況

その後もDの売上げは低迷して業況が回復せず、経常損失が膨れあがって九月の時点で約八〇億円(弁四八)に達するなど債務超過の状態に陥り、Dは、八月から一一月までの各月末の運転資金に不足し、JHLから本件融資を受けて、利払、手形金その他一般経費の支払等に充てたほか、九月中旬ころ、Dに出向いたI、KからDの役員は「いつまでもこの状態で支援していくことは出来ません。」などと叱咤され、後記のとおり、JHLから融資の申込金額を絞り込むように指導されて、八月ころ以降、手形の支払時期を延期し、JHL以外の借入金融機関に対する利払等を一部遅滞せざるを得ない状況に追い込まれ、実質赤字だった前期に引き続き、平成四年一月期も赤字決算必至の状況であった(甲二八、五七、六〇、六七ないし七〇、八三ないし九八、一一三、乙一三、弁四六・五ないし一三、一九、二〇丁、四八、五八・九五二九、九五三〇丁、被告人B・第六回・一九三丁、I・第一六回・九五六、九五七丁、N・第二一回・一六一三、一六一四丁等)。

本件融資も、被告人BがJHLと折衝しているが、被告人Aに対して、自ら或いはOを介してその都度報告してその了解を得ており(乙一三。八月分は同月一九日と二八か二九日、九月分は同月中旬と下旬、一〇月分は同月二三日、一一月分は同月一八か一九日)、被告人両名間で本件融資に関する意思の連絡はできていた。

(六) 本件融資後の状況

このように平成三年二月以降Dの経営状況は急速に悪化しているが、平成四年一月期のDの決算報告書によると、平成三年中売上げの低迷が続き、売上げ基準を契約基準にしても営業収入は約一五八億一二三〇万円と、前期の約九〇七億四五〇〇万円の僅か約17.4パーセントに留まり、売上げを急激に減少させ、金利負担も約七八億三〇〇〇万円に達したりしたため、経常損失約一一六億〇八四三万円という大きな赤字を計上し、それまでのバーター取引等の過大な売上げ計上の問題等が一気に表面化した(甲七二、七五、七六)。そして、会計事務所は、監査報告書の中で、前期同様、契約基準による売上げ計上は不相当との意見を付しており、右意見を前提とすると、同期の営業収入は約一三二億円に減少し(甲七二、七五、七六)、その分赤字が増大するものであった。

そして、Dは、平成四年一月以降も、不動産市況の低迷が続いて売上げが引き続き低迷し、しかも、JHLが運転資金の融資額を更に絞り込むようになったため、他の金融機関への利払等もできない状態になり、JHLからこれ以上Dの支援を継続できないので自己破産してほしい旨求められ、前記のとおり、平成五年一二月一〇日には破産申立てをするに至った(甲五〇、五九、六一、六七、七六、八九、九〇、九二、九五ないし九七、乙一八、弁四六・一四、六〇ないし六八丁、五八・九五四七ないし九五五二丁、井上・第三回・二〇丁、被告人B・第八回・三六〇ないし三六三丁、同・第二三回・一七四五、一七四六丁)。

(七)  小括

以上のとおりDの経営状況は、平成二年後半から急速に悪化し、事実上の破綻さえも予想されるほどになって、融資金の返済能力を喪失し始め、平成三年に入っても回復の兆しはなく、時期を追う毎に悪化の一途を辿り、本件融資直前には、バブル期を上回るくらいに地価が再騰して不動産市況が活性化するといった奇跡でも起きない限り建て直しは不可能なほど事実上の破綻の様相を呈するようになり、融資金の返済能力を喪失していた。

被告人両名の弁護人は、Dの経営状況に関して、昭和六二年一二月から平成元年一月ころまでDの株式店頭公開の準備が進んでいて、Dが優良企業として評価されていたこと、Dは、財務体質改善のため借入金の圧縮に努め、一定の成果を上げていたことなど様々に主張するが、平成三年一月期までのDにみられた事情を論じるだけで、Dの経営悪化、とりわけ平成三年一月以降の急激な経営悪化に対する適切な反論足り得ていない上、本件融資当時のDが極度の営業不振に陥るなど相当に厳しい経営状況にあったことを前提として、犯罪事実記載の本件融資の是非を論じるものもある(被告人Aの弁論要旨一三、一四、一〇二ないし一〇四頁、被告人Bの弁論要旨三二ないし三四、六〇ないし六二頁等)から、これら弁護人の主張を考慮しても、Dの経営状況の悪化に関する前記認定は左右されない。

二  JHLのDに対する融資状況等

一に述べたDの経営悪化は、JHLのDに対する融資状況等によっても窺われるので、以下検討する。

1 JHLのDに対する融資の経緯及び昭和六二年一二月の運転資金融資の開始状況

(一) JHLは、発足当初からDと取引し、Dから住宅ローンの借り主としてその販売住宅の買主を紹介されることが多くなったことから、昭和五二、三年ころDの持ち込む借入案件の窓口としてJHL横浜支店を開設し、同支店にとってDは重要な取引先となっていた(甲一〇、四六、六三、乙二、三、一一、M・第三回・六丁、被告人A・第七回・二三二、二三三丁、C・第九回・三八七丁等)。

Cは、JHLが、住専としては後発で、住専各社との厳しい競争を強いられ、都市銀行等が貸出利率を低くしてそれまでの住専の主要業務であった個人向け住宅ローンにも積極的に乗り出してきたため、住宅ローンだけでなく事業ローンも積極的に展開することによって業容拡大を図らざるを得ない状況にあったところから(甲一〇、一八、二六、四七、弁一六・五ないし一三、一九ないし二一丁、一七・一五、一六丁等)、横浜支店の発展に貢献し、Dの紹介による住宅ローンの返済が延滞した場合に同支店の融資回収にも協力するなどしたDを有力な取引先と位置付け、Dが前記のとおり業態の変更を図るのを積極的に支援することとしたものとみられる(甲一〇、一九、四七、六三、乙三、一一、弁一九・五三ないし五九丁、M・第三回・六、七丁、C・第一一回・五七五ないし五九四、六二二、六二三丁、同・第一五回・九〇五ないし九〇七丁、被告人A・第一三回・八二六丁、I・第一九回・一三八三ないし一三八七丁等)。

そして、Cは、増資新株払込資金の融資といったものはJHLの貸出しとして予定されていなかったにもかかわらず、昭和六〇年四月には、少数の役員の決裁だけで、オーナー社長である被告人AのDでの支配力を維持させるために、同被告人が有するD(ただし、当時の社名はDジャパン株式会社)の未公開株式を担保に、Dの増資新株払込資金二億三五〇〇万円を同被告人に融資し(甲七、一九、一一九、乙三、弁二〇・六ないし九丁、C・第一一回・六四二、六四三丁)、昭和六一年一二月には、Dが、バーター取引で取得しようとしていた東京都豊島区高田三丁目所在の賃貸用ビル用地の取得資金六七億円の融資をJHL横浜支店に申し込み、同支店では融資に消極的であった件について、役員協議会の席上、複数の役員から、その物件は、神田川の増水による浸水が何度もあるなど商品性及び担保価値が低いことを理由とした反対意見が出ていたのに、「これまで世話になったDが東京でやると言っているんだから、そうごちゃごちゃ言うな。前向きに対応してやったらいいじゃないか。」などと激しい口調で言って押し切り、審査部の評価額約四三億八〇〇〇万円と対比しても大幅な担保割れであることが明らかな前記六七億円の融資を実行するなど、Dを積極的に支援して緊密な関係を強めていった(甲四、一九、四五、四七、六三等)。

(二) Dが、大型物件を手がける営業に業態を変化させて事業を拡大し、高値のものを含めて大型物件を多数仕入れるようになってから、Dの事業資金等の融資申込みについては、これらの融資に消極的なJHL横浜支店に代わって、昭和六二年に入って次第にJHL本社のローン開発部が扱うようになった(甲一九、三五、四三、四六、六三)が、当時のローン開発部長J及びKは、Dの業況を調査し、Dが物件を高値で購入していて、被告人Aの経営者としての資質にも疑問があること等を理由にDを信用ある企業と評価せず、取引相手として不適当である旨Hを介してCに報告した(甲四三)。しかし、Cは、前記のとおりDを積極的に支援する方針であったので(甲一九等)、Jらの右報告に激怒し、「二度とそのようなことは口にするな。Dは支援してやるんだ。これは命令だ。私の命令に従わないのなら、君は、即刻、クビだ。」と一喝して、Dへの融資を厳命した(甲四三)。

そこで、Jらは、CのD支援の意向が強固であると判断し、右意向に逆らえば、発足直後からJHLの経営に関与し、急速に営業規模を拡大するなどして後発社でありながら住専の有力企業といわれるまでにJHLを発展させ、JHLの経営に最も大きな影響を与えている母体行の興銀の幹部からも経営手腕を評価されるなどJHLのいわゆるワンマン社長として強大な権限をもっていたCから、いかなる人事上の不利益な処遇を受けるか分からないと危惧して(甲四、一七、四二、四三、四五、四六等)、Dに対する融資はその要求どおり実行せざるを得ないと考え、昭和六二年二月、Cの意向に沿って、Dに対し、担保割れにもかかわらず東京都江東区北砂の不動産の購入資金九億四〇〇〇万円の融資を実行した(甲四三、添付資料③、六三)ほか、同年五月には、JHL横浜支店が採算性に疑問があるとしてDへの融資を拒絶した神奈川県相模原市内のホテルの事業資金二三億五〇〇〇万円(甲四六)も、Cの方針に則ったHら役員の指示に従い、自分達の意見を曲げて、融資比率(不動産等の担保価値に対する当該貸付金額の割合)が約一三四パーセントにもなる大幅な担保割れの状態で、Dの計画どおり転売できるか懸念があったのに、右融資を実行した(甲三五、四三等)。

右融資後は、JHLのDに対する事業資金の融資案件は、全てローン開発部が担当することになり、Jらは、当時のDの経営状況に照らし、お荷物の会社を引き受けることになったと感じた(甲三五、四三、四五ないし四七、六三等)。

(三) 昭和六二年一二月の前記運転資金融資の申込みも、慢性的な資金不足の体質で今後の資金繰りの目途も立っていないなどDの経営状況に疑問を抱いたJら担当者レベルは断ったが、被告人Aから直接融資の要請を受けたCが、H、Jらに対し「どうして断るんだ。Dを潰す気か。融資は実行する。書類を作って、回せ。」などと激しく叱責し、融資の実行を強く指示した。そこで、H、Jらは、Cの意向に背くことができず、また、当時はバブル経済の情勢下でしばらく資金協力をすればDも立ち直るだろうとの甘い見通しもあって、経営状態が苦しく、第二順位以下の抵当権しか付かないのに、Dの経営状態再建の具体的方策もとらないまま、右運転資金の融資を実行した(甲二〇、二一、三五、四三、六四、乙一四、N・第二二回・一六八六ないし一六八九丁等)。

そのころ、Cは、右融資の謝礼に来た被告人Aらに対し、「Dは、色々物件を抱えて相当苦しいようですが、うちの方で協力できることがあれば協力しますから何でも言ってくださいよ。うちで引き取れるような物件があれば、H君に相談してくれていいですよ。」などと申し出て、Hらに命じ、前記のとおり、Lに神宮前物件等を買い取らせる措置をとらせた(甲二〇、四三、四七、四八、六四、一〇五、一二二、乙一四、被告人B・第六回・一六一、一六二丁、同・第七回・三一七丁等)。

2 昭和六二年一二月以降平成三年三月ころまでのJHLの融資状況

(一) その後も、H、J、Jの後任者I、Kは、CのD支援の強固な意向に逆らえば、強大な人事権を持つCからいかなる人事上の不利益な処遇を受けるか分からないと危惧し、Dに対する融資はその要求どおり実行せざるを得ないと考え(甲四、一七、二七、四三等)、前記のとおり、Dに対し、昭和六二年一二月以降毎月のように運転資金の融資を行うようになったが、担保としてDから提供された物件は第二順位以下の抵当権しか取得できず、融資金の確実な回収措置を採っていなかったことから、適切な資金計画も立てずに収支が悪化しているDへの融資に危機感を募らせ、昭和六三年七月ころ以降の稟議書等JHL内部の書類上では、Dへの運転資金の融資を事業資金の融資と仮装したりした(甲二一、三三、四五、一一五ないし一一八、弁四四・四七丁)。

Dへの殆どの融資は、緊急を要することなどを理由として、通常の融資手続と異なって本来付議されるべき役員協議会で協議されることなく、融資に関する稟議書の持ち回り決裁による承認を得て実行され、しかも、右持ち回り決議はまずC及びHが決裁して融資の実行を承認するため、その後に稟議書の回付を受ける役員は異を唱えることなく決裁するという特異な手続をとっていた(甲三、四、八、一八、二六、二七、三三、三八、四〇、四二、四三等)。

(二) 住友銀行は、昭和六三年六月に、Dに関し「在庫の整理及びそれに伴う借入金の返済が急務であるところ、地価の軟化等から急速な在庫の圧縮は疑問であること、担保余力が乏しいこと、売上げの大半が借入金の返済に充当されることなどから、今後の金繰りは楽観できず、Dの業況には深甚の注意を怠りがたい。」旨の行内の調査結果(甲九五・添付資料10)を受けて、翌七月を最後にDに対する新規融資を止めた。この動向を察知した他の都市銀行も、Dへの融資に消極的な対応を示すようになったため、Dは、都市銀行から融資を受けられなくなった(甲九五、乙一一、一四)。

C、Hらも、Dへの継続的な運転資金の融資に危機感を募らせ(甲二一、二七、三七等)、Cは、同年一〇月ころ、J及びKを住友銀行に派遣して、メインバンクとしてDを支援するよう要請したが、同銀行の姿勢に変化がなかったため、Cら四名は、そのころから、他の金融機関によるDへの支援を期待できないことを認識しつつ、Dへの融資を継続した(甲三七、四三、乙一四)。

そして、Cは、平成元年前半ころ、Dへの融資を続ければいずれ回収不能に陥ると懸念したJHLのP業務推進部長が、同部担当のQ常務と相談して、役員協議会で、Dの業況を詳細に調査すべき旨提言したのに対し、「私は、その案件については聞いていない。解散しなさい。」と激しい口調で言って、右提言を取り入れようとしなかった(甲四二)。

このように、Cは、Dへの融資の在り方を考え直す機会を得ながら、それを生かさず、Dへの融資を継続した。

(三) JHLは、昭和六二年一二月以降毎月のように運転資金の融資を継続したにもかかわらず、Dの資金使途を十分管理できず、被告人A個人のマレーシアでの事業に融資金の一部が流用されるなどして(甲二一、一二四、弁一六・六七ないし七〇丁、四三・二〇ないし二二丁、C・第九回・四六六ないし四七〇丁、被告人A・第一三回・七八二ないし七八四丁、I・第一七回・一一三八ないし一一四三等)、一向にDの資金繰りが好転しないばかりか、前記のようにDは物件を高値で仕入れているため、まともに査定評価すると担保余力のある物件を探し出すのが困難であったところ、昭和六三年九月ころからは、担保物件の十分な調査もせずにDの販売希望価格を基準にその担保価値の査定評価を繰り返すようになり、Dに対する融資は、融資金額に見合うような担保を取得した形を整えただけの実質担保割れの状況になった(甲二一、二七、二九、三四、三七、六六、乙一四、I・第一八回・一二六八ないし一二七一丁)。しかも、これらの物件は既に一番抵当権が設定されており、JHLは、取得できた後順位の抵当権の設定登記を、Dの経営悪化が対外的に知れるのを避けるなどの理由で、留保していた(甲六四ないし六六、乙一四、弁四五・二四、二五丁、N・第二一回・一六四六丁)。

右のような担保状況については、I、Kから「融資金額に見合う担保はDにはありません。」などと報告されたHが、Cに対し「Dへの融資は、担保の方も大変厳しい状況です。」と報告し、平成二年秋以降は、Cも、「今月もDに資金を出したが、どうなんだ」とHらに尋ねるなどDの経営悪化を気にし始め、Hらは「Dは大変厳しい状況です。もう担保もないのでDの販売予定価格をそのまま査定評価しています。」などと報告していた(甲二一、二九、三四、三七、C・第一五回・九一〇丁、I・第一八回・一二七一ないし一二七四丁等)。

JHLは、D側から平成三年一月期の決算で売上げ基準を前記のように変更した旨の通知を受けていた(被告人B・第六回・一六八丁、弁四五・三二ないし三四丁、I・第一六回・九五七、九五八丁、同・第二〇回・一四六九丁)。

さらに、同年二月末に実施した一〇億円の運転資金の融資の際には、担保の査定評価の対象は土地であるにもかかわらず、その土地上に建物を建築した後に土地建物を一体として販売する際のDの販売予定額を基準として、その土地を査定評価するという担保の大幅な水増し査定まで行うなど、担保の水増し査定さえも限界に達し、このころ、新規の仕入れ物件でもない限り、Dが提供できる担保物件がなくなっていた(甲二一、三七、五七、六五・一二丁、六六・二、一二丁、六七・五ないし七丁、乙四、一一・一一丁、一三・二丁、弁四五・三、二四、三七、三八、四九丁、被告人B・第六回・一六三、一六四丁、同・第七回・三〇八丁、同・第八回・三四二丁、I・第一八回・一二七四ないし一二八〇丁、N・第二一回・一六四五、一六四六丁、同・第二二回・一六九〇、一六九一丁等)。

右のようなDからの担保の徴求状況を見たCら四名は、前記のとおりDが、JHLに対し、平成二年九月からは、運転資金として借り入れた融資金の返済もできなくなっていたこともあり、同年後半からは、これまでの融資金や、今後の融資金の回収が不可能となるのではないかと危惧し始めた(甲二一・六七六丁、二七・九六二、九六三丁、三七・二二丁、五二・六、七丁)が、Dが倒産してこれまでのDへの巨額な放漫な不良貸付が対外的に明らかになると、その経営責任等を問われかねず、特に、部下を叱責してまでDへの支援を積極的に進めたCについてはそうであったから、Dへの融資を打ち切ることができないでいた(甲二一、二二、二七、三六等)。

(四) このようなJHLのDへの運転資金等の融資状況等からも、Dの経営状況の悪化が窺われる。

3 平成三年四月の迂回融資の開始及びその後本件融資直前までの融資状況

(一) JHLは、平成三年二月末ころまでには、Dに対し、運転資金の融資も含めて約二七四億円にも上る総融資残高を有するに至った(甲二一・六七八丁、二二等)が、D保有の殆どの物件を担保徴求していたため、今後の融資にDから徴求し得る担保がなく(甲六六)、前記のとおり担保の水増し査定も限界に達していた上、前記総量規制等金融引き締め政策の下、突出した貸出しは得策でないとの判断から、営業部店全体の貸出残高の増加を抑える方針を打ち出したりしたため、Dを直接の相手方とする新規の融資を実行することが困難な状況に陥った(甲九、二二、二九、四七、弁二〇・五一ないし五三丁、被告人B・第七回・三〇九丁等)。

また、右総量規制の実施を契機に、世論が不動産業者に対する金融機関の融資姿勢に厳しい見方をするようになり、平成三年初め、日本銀行が経営状況に問題があると指定したとされるDを含む不動産業者のリストが週刊誌に掲載され、都市銀行等は、右問題不動産会社への大口貸出しを控えるなどしていた(甲五、二九等)。

しかし、Cら四名は、回収不能になるのではないかとの危惧があっても、前記のとおりDへの融資を打ち切ることができず、運転資金の融資を継続するが、これらの諸事情を踏まえて、JHLの直接融資残高の増加を抑え、Dへの融資を外部から見えにくくする必要を感じ、Cの指示により、H、Iらが、Dに対する迂回融資の方法を検討し、JHLの系列企業であるHLKを経由させるだけで融資するのではDの決算書上にHLKの社名が載り、JHLの融資継続が分かってしまうので、それを回避するために、更にFも介在させて迂回融資する方法を考え出した(甲五、九、二二、二九、三六、四七ないし四九、弁一六・七〇ないし七六丁、四五・四三ないし四九丁、C・第一〇回・四九九ないし五〇一、五一六、五一七丁、同・第一五回・九一四、九一五丁、I・第一六回・九八五、九八六丁、同・第一七回・一一五五ないし一一六〇丁、同・第一八回・一二三一ないし一二三五丁、同・第二〇回・一四七八丁、被告人B・第二三回・一七五九、一七六〇丁等)。

ところが、平成元年四月から二年間Dに出向し、両社の業況・資産状況等を良く知っていて、融資金のFからの回収に懸念を抱き、漫然と融資を行えば自らの責任を問われかねないと判断したHLKのR専務取締役(甲四八)が、同社社長のSとも相談の上、H、Iらに対し、右融資へのJHLの保証を強く求めたので、H、Iらは、保証予約という形であれば、JHLの会計書類上もJHLがHLKに対するFの債務を保証する事実が表面化するのを避けられると判断し、Cの了解を得た上で、右保証予約に応じることとした(甲九、二二、二九、四七ないし四九等)。

Iが、このような迂回融資の方法を被告人Bに説明し、同被告人を介して四月一九日ころ被告人Aの了解を得た後(甲二九、六七、乙一三・八ないし一〇、四二頁、被告人B・第六回・一六八、一六九、一八四ないし一八七丁、同・第八回・三六五ないし三六八丁、N・第二一回・一六一二丁等)、Cら四名は、Dからの返済は不可能と考えながら(Kは、平成三年四月の時点で明確に右認識を有しており、他のCら三名も、同様であったと解される(甲三六・一六、一九丁)。)、持ち回り決議をして、同月三〇日、FのHLKに対する債務について保証予約をした上で、HLKに一八億円を融資し、それをHLKがFに融資し、さらにFがDに融資するという迂回融資(以下右融資形態を「迂回融資」という。)によって、Dへの運転資金融資を実行し(甲九、二二、二九、三六、四四、四八、六七、八二、一一四、乙一三等)、その後も、前記のとおり五月から七月にかけて、Dに対する合計三六億五〇〇〇万円の各月末運転資金を迂回融資の方法で実行した(甲一四、二二、二八、六七、乙一三)。

業況が悪いDへの前記直接融資残高約二七〇億円が他の金融機関に比べて突出していて好ましくないと判断したCの指示により、H、Iらは、右融資残高を二〇〇億円以下にするため、七月には、一旦、迂回融資でDに融資した八三億円から金利等を差し引いた約七八億円を右直接融資残高へ弁済させるという方策までとった(甲二四、二八、乙二〇)。

(二) JHLは、HLKが右保証予約の完結権を行使すると負担することになる連帯保証債務を履行した場合に生じるFに対する求償権の担保として、四月の迂回融資に際しては、Dの連帯保証及びFが第三債務者に対して有する総債権を譲渡担保として徴求し(以下JHLでの呼称に準じて右担保を「不特定債権担保」という。)、さらに本件融資も含めて遅くとも六月以降(甲二二・四〇頁、二九・資料一二等)は、Fの総資産を譲渡担保とする旨約するもののその登記又は引渡しを留保する形態の担保(以下JHLでの呼称に準じて右担保を「資産勘定物件担保留保」という。)も徴求していた(甲二二、二九、三六、四四、六七、乙一三等)。

しかし、不特定債権担保及び資産勘定物件担保留保は、個別の債権・財産を特定して担保としたものでも、対抗要件を具備したものでもなかったから、担保と称しても実質的には一般財産と変わらず、金融機関が徴求する担保と評価できるものではなかった(甲一、二二、三六、三八、四〇等)。しかも、前記のとおり、Dは平成三年に入ってますます事実上の破綻の様相を強めていたから、Dの連帯保証に担保価値はなく、また、後記のとおり、Fの有する融資債権に資産としての価値はない上、そのほかにFに特段みるべき資産はないから、Fの不特定債権担保及び資産勘定物件担保留保にも担保価値がないなど、JHLの前記保証予約は実質的に無担保のままなされており(甲九、二二、二八、二九、三六、四二、四四、六七、八二、乙一三、弁六二・九七七一丁等)、これらの融資はいわゆる信用貸しともいうべきものであった。

JHLの基準でも、適正な担保を徴することは金融業務を円滑に遂行していくためには不可欠の事項であるから、原則として信用による貸出しはせずに、担保留保・持込担保(甲一八・一八、一九頁によれば、担保留保とは、貸出額に見合った担保権を設定し得るが、その認定手続を留保する場合をいい、持込担保とは、物件購入資金の貸付後に借り主が右資金で購入した物件に担保権を設定する場合をいう。)については、特にやむを得ない場合に限り行う旨明記されていた(甲一、一八、二六、三一、C・第九回・四五八ないし四六五丁、I・第一七回・一一三四ないし一一三八丁等)から、右基準を良く知るCら四名も、不特定債権担保及び資産勘定物件担保留保がJHLとして徴求すべき担保でないとの認識を十分有していた(甲二二、二八、二九、三六)。

(三) そして、Iが、七月三〇日の役員協議会で、「D(株)」と題する書面に基づき口頭で、「売上げについては年々漸減傾向にあり、平成三年六月時点では一挙に経常損失約五四億円に転落することが見込まれ、来る平成四年一月期の決算は、相当厳しい状況になり、最早小手先の営業努力では如何ともし難い状況になっている。」「今後とも資金不足を生じるのは明らかな状況です。」「Dの最悪の場合に備え、マスコミリスクを回避するためにもJHLの貸付残高を圧縮したい。」などとDの経営の現状を報告し、Cら四名は、Dの収支状況や資金繰り状況が大変厳しく、今後の見通しも深刻であることを認識していた(甲二八、I・第一八回・一二四三丁以下)。

さらに、四月からJHLの常勤監査役からDの常勤取締役副社長等として出向したTが、被告人B、取締役財務部長のNらD関係者から聴取したDの実情、自ら社内で見聞きした内容等に基づいて(弁六一・九七〇九、九七一〇、九七一五丁、六二・九七四〇ないし九七四二丁、被告人B・第二三回・一七五五丁、T・第二四回・一八六八、一八六九丁)、八月一三日付けで作成した報告書(以下「T報告」という。)の中で、「月間五四億円の売上げ目標に対し、一九億円程度の売上げしか達成できないなど販売状況は極めて不振で、取引が具体化するものは、バーター条件によるもので、特にみるべきものはない。Dの財務状況は、極度の販売不振から在庫整理が進まず、金利負担も重なり、財務体質は悪化を続けていて、平成三年二月ころから六月までの当期は、損失と在庫増を借入れと預金の取り崩しでしのいでいるが、債務超過は時間の問題である。売上げの大幅ダウンから収支は逐月大幅な支払超過で、金融支援によって何とか繰り回しを図っているが、支援がなければ経営は即破綻する。」旨Dの危機的状況を端的に表現していた(甲一一、二二、二八、三六、五四等)。

なお、被告人両名の弁護人は、Tが、当公判及びJHL事件の公判(以下、特に断らない限り両公判を併せて単に「公判」という。)で、T報告について、JHLにDの実態をしっかり把握して積極的に支援してほしいという趣旨で作成したものであって、「支援なくば即破綻」の意味も、支援して破綻させないようにとの要求の意味であって、誇張した強めの表現であったなどと供述していること(弁六一・九七一五ないし九七一八丁、六二・九七四四ないし九七四六丁、第二四回・一八七〇丁等)、JHLに籍を置くTが、出向中とはいえ、Dが破綻に瀕していることを認識しながら、Dの関係者と共にJHLに融資を申し込んで、JHLに損害を与えるような行為に及ぶことはあり得ないこと(弁六一・九七一三、九七一四丁、被告人B・第二三回・一七五五、一七五六、一七七一、一七七二丁、T・第二四回・一八七一、一八七二丁等)などを指摘して、T報告で、当時のDが破綻に瀕していたことが裏付けられることはないなどと主張する(被告人Aの弁論要旨九八ないし一〇二頁、被告人Bの弁論要旨四四ないし四六頁)。

しかし、迂回融資の実施等JHLのDに対する融資状況をみれば、前記のとおり、Cら四名がDの経営状況が厳しいものであることを既に相当程度認識していたのは明らかなのに(同旨の供述とみられるものに、弁六二・九七九八丁、T・第二四回・一八八九丁等)、T報告で、「即破綻」という表現が用いられているのは、それだけ当時のDが危機的状況にあったことを端的に表現したかったからと推認でき、右表現が誇張でなく、当時のDの状況を的確に表したものであることは、T報告が前記のような資料に基づいて作成されたものである上、同記載の売上げ・資金繰り等の客観的・具体的な数値から認められるDの経営状況(甲五四・資料二等)、Tは、仕事振りが真面目で熱心なことに定評のある人物であって(甲二八、弁二〇・六四ないし六六丁)、公判で、弁護人主張の供述に加えて、当時のDの状況は大変厳しいものであると認識しており、平成三年に入ってからのDの売上げが急激に落ち込んでいることへのJHLの注意を喚起し、今後の融資の可否を良く検討するように促すつもりで右報告書を作成した(弁六一・九七〇九、九七一〇、九七一六丁、六二・九七四三ないし九七四七丁、T・第二四回・一八六八ないし一八七〇、一八八五丁)などと供述していることに照らして、明らかである。Dの融資獲得活動にTが参加しているとの前記弁護人の主張を考慮しても、右結論は左右されない。

そして、Tが、T報告を、同年八月一九日にI及びKに提出し、そのころ、H及びCも順次閲読してその内容を理解したから、Cら四名は、そのころ、Dの売上げが更に落ち込み、不良在庫の整理や借入金圧縮も進まずに、経営が事実上の破綻状態にあることを以前よりも一層認識し、本件融資を実行してもDから回収できなくなる結果となることをより明確に認識した(甲一一、二二、二三、二八、三六、五四、弁四六・一八、一九丁、I・第一六回・九五八丁等)。

4 本件融資の状況

C、Hは、I、Kら提出の稟議書等に添付された本件融資金の使途に関するメモを見るなどして、Dが相変わらず資金繰りに窮している状況を認識し(甲一一・三六六丁、I・第一六回・九六二ないし九六六丁等)、Dの経営が事実上の破綻状態にあることに変わりはなく、回収が不可能となることを認識しながら、Dの倒産を先延ばしにすることにより、Dの利益を図ると共に自分達に経営責任が及ぶのを免れ、さらにH、I及びKについては、Cの意向に背いて人事上の不利益を受けたくないとの考えから、JHLがDに対し月末運転資金に充てられる犯罪事実記載の各融資を実行するのを、持ち回り決議により決裁して前記保証予約につき実質無担保のまま実行した(甲一一、二二、二八、三六、三八、四〇ないし四二、四五、四七、四八、八二、一〇七、一一四、乙一三等)。そして、C、Hは、不動産業者向け融資が他の金融機関では止まっているのに、JHLだけ継続するのは不自然であるとして、同融資を控えるようにとの興銀からの要請を受け入れなかった(甲一一三)。

もっとも、H、Iは、本件融資のころは、融資金額が大きくなると、それだけ自分達の不良貸付けの責任も大きくなることから、被告人BらD側関係者を指導して、手形金の支払や、借入金融機関に対する利払を一部延期させるなどして、本件融資金額を絞り込ませる措置をとった(甲二二、二八、三六、六七、乙一三、、弁四五・五二丁、四六・五ないし一三丁、I・第一六回・九五九、九六〇丁、N・第二一回・一六一三、一六一四丁等)。また、Cの後任のJHL社長予定者として平成三年六月から副社長に就任していたUも、HらからDの大まかな業況の報告を受け(甲二三、三八)、T報告を閲覧するなどして、Dの業況が悪化していることを危惧して、Dへの融資に厳しい見方をするようになり、同年九月以降の融資については、各月末にJHLに来社した被告人Bに対し、Hらの目の前で、「今日はこれだけを出しますが、来月は今月以上に自己努力をちゃんとやって下さいよ。」と述べるなどDへの融資額をできるだけ減らそうと努力していた(甲二三、三八、乙一三、弁四六・九ないし一四丁)。

5 本件融資後の融資状況等

Uが本件融資後の平成四年一月六日にCの後任としてJHLの社長に就任した後は、Dへの月末運転資金の融資金額が一段と絞り込まれ、同年二月からDの審査を実施したJHL業務企画室が同年三月三〇日付け「D(株)業務企画室審査報告」で、Dの自己努力による再建は不可能で、支援しても収支改善等は期待できないとの調査結果を明らかにした後は、JHLは、Dに清算を前提に対応し、最終的には破産申立てを促すに至った(甲三八、五一、五二、六七、一二八、乙一八、弁四六・一四、六〇ないし六九丁、五八・九五四七、九五四八、九五五二丁、M・第三回・八、九丁、被告人B・第八回・三六〇ないし三六三丁、同・第二三回・一七四五、一七四六丁、I・第一六回・九八三ないし九八五、九八八ないし九九一丁等)。

本件融資金合計一八億七〇〇〇万円については、JHLは、前記保証予約の完結でFの債務を連帯保証せざるを得なくなったことが発覚するのを回避しようとして、平成四年五月以降、JHLが設立したペーパーカンパニーの子会社等にHLKのFに対する融資金債権を全て買い取らせるなどした(甲四七、四八、五二、八二)が、右融資金債権は、JHL解散後の平成八年一〇月一日に住宅金融債権管理機構の管理下に移されたものの、右融資金債権に含まれる前記一八億七〇〇〇万円は、現在も全く回収されておらず、回収の目途も立っていない(甲五三、一二八、被告人B・第八回・三七五丁、被告人A・第一三回・八二八丁)。

6 小括

(一)  以上によれば、Cら四名は、本件融資の約一年前である平成二年九月からはDがJHLに対し融資金の返済もできなくなっていた上、JHLのDに対する直接融資残高が平成三年二月の時点で約二七〇億円もの多額にのぼり、大幅な担保不足で、Dに更に融資しても回収の見込みがなかったのに、平成三年四月からは、迂回融資という外部から見えにくい形で、業況に回復の兆しがなく悪化の一途であるDに月末運転資金等の融資を継続し、本件融資直前の同年八月中旬ころには、T報告も見て、Dの経営の事実上の破綻をより明確に認識しながら、回収の見込みのない本件融資を実行したものであり、本件融資後の状況もそのことを裏付けていると認められる。

(二) JHLのDに対する融資状況等に関する弁護人の主張

(1) 運転資金の借入れ

被告人両名の弁護人は、JHLがDへの月末運転資金の融資を継続したことについて、Iの公判供述等(弁四四・三二ないし四三丁、四五・二五、二六丁、五七・九四六六ないし九四六九丁、I・第一六回・九四三ないし九四六丁、同・第一七回・一一四七ないし一一四九丁、同・第一八回・一二六〇丁、一二八〇ないし一二八四丁、同・第二〇回・一四六七ないし一四七二、一四七七、一四七八丁、被告人B・第二三回・一七四〇ないし一七四二丁等)を引用するなどして、月末の運転資金の融資という形で、建築資金・商品化資金を融資することによってDの販売商品が完成し、それが販売されることで既往の融資金を順次回収していたから、これらの融資は、JHLがDのメインバンクとして行う通常の運転資金の貸付けであり、Dの業況悪化を裏付ける事情とはいえない旨主張する(被告人Aの弁論要旨九二、九三頁、被告人Bの弁論要旨六八ないし七二頁)。

しかし、前記のとおり、Dは、平成二年九月以降JHLに対し運転資金として借り入れた融資金の返済もできない状況に陥っていて、弁護人の主張は前提を欠いたものである上、運転資金に窮するような会社は財務状態に問題があって債権回収の困難が予想されるから、融資は、確実な担保が徴求できるときに一時的なつなぎ資金として実行すべきところ(甲二〇・六二一丁)、Dへの運転資金の融資は、取得不動産に第一順位の抵当権が付かず担保徴求の面で難があったほか、右のような融資の返済状況にあって在庫物件も不良資産化していたばかりか、月末運転資金の使途は主として手形金・税金・金利の支払であって、特に手形金の支払は企業活動にとって極めて重要なのに、その資金すら月末運転資金の融資に専ら頼っていて(弁四四・三八丁、四五・四五、四六丁、I・第一六回・九六三ないし九六六丁)、しかも、建築資金・商品化資金の融資を十分受け、納税資金等D側に資金不足が生じる度に別途資金援助を受けていた上での月末運転資金の融資であったから(I・第一九回・一三三四ないし一三三九丁等)、月末運転資金の融資が継続したことは、Dの業況悪化を推知させるものといえる。被告人Bも、公判で、運転資金の融資が長期間継続したのは、望ましいことではなく異例であったことを認めている(第七回・三一六丁等)。

(2) 担保の水増し査定

被告人Bの弁護人は、Dは不動産会社としての経営・実績に基づき物件の販売予定価格を算定していて、国土利用計画法によって右価格の上限が画されていたことなどを理由に、JHLがDの販売予定価格を基準に当該物件の担保価値を査定評価したことには合理性があり、しかも、JHLの担当者であるKは不動産鑑定士としての自律的判断を加えているから、担保物件の水増し査定はなかったなどと主張する(被告人Bの弁論要旨七六ないし八一頁)。

しかし、JHLの事務マニュアルでは、事業資金融資のような長期金融では、融資先の企業経営に不測の事態が生じる危険が高いので、その融資実行に当たっては、担保取得した不動産に原則として第一順位の抵当権を設定登記することなど確実な担保の徴求を必要としており、しかも、事業用不動産等の処分は困難であることから、担保価値の査定評価は慎重であるべき旨要求している(甲一、八、一八、二六、三一、三九、C・第九回・四五六ないし四五八丁、I・第一七回・一一三一ないし一一三四、一一五二、一一五三丁等)。右マニュアルに照らすと、Dの販売予定価格が合理的との弁護人の主張を前提としても、既に一番抵当権が設定されている物件に、その販売予定価格の九〇ないし一〇〇パーセントを査定価格として殊更に担保余力を生み出して後順位抵当権を設定する方法が適切なものでないのは明らかである(甲一、八、一八、二六、三一、四五等)。しかも、販売予定価格は、売買が成立する前に融資を受ける会社が算定したに過ぎない不確定なものだから、融資側として鵜呑みにできる類の価格ではない(甲二七、三四、三七、六五、乙一四)上、Kの査定状況をみると、昭和六二年一二月に一八億円と時価評価した物件について、約半年後の昭和六三年七月には、Dの販売予定価格を基準にしたため、右評価に比べて一五〇パーセントも高い二七億円を査定価格としたり、その際販売予定価格の九〇パーセントを査定価格とした物件について、約一か月後の同年九月にはその一〇〇パーセントを査定価格とするなど査定を次々に緩やかにするなどしていて(甲三七、一二〇)、担保価値の適切な査定評価をしていなかったのは明らかである。

加えて、被告人Bらに対しどのような物件でもよいから担保となりそうな物件を提供するように求めていたとのKの供述(甲三四、三七)及びそれに沿う関係者の供述(甲二七、一四等)を併せれば、右査定評価は融資の形式を整えるためのものに過ぎないものであって、JHLは、担保物件の水増し査定を行っていたと認められる。なお、本件融資後に、前記「D(株)業務企画室審査報告」では、HLKを含めてJHLグループ全体の両社等に対する融資総額約四三七億円中、本件融資分を含めた約三六二億円が無担保融資とされている(甲五一)。

(3) 迂回融資

被告人Bの弁護人は、JHLが迂回融資を開始した理由は、業況の悪いDへの融資の隠ぺいではなく、不動産業者への融資に対する世論の理不尽な非難によりJHLの資金調達等の業務に支障を来すことを避ける目的にあった上、迂回融資は、金融機関にとって日常茶飯事のことであり、複雑なスキームでも極めて異例な措置でもないなどと主張する(被告人Bの弁論要旨三七、三八、八九ないし九一頁)。

しかし、右主張は、世論が不動産業者に対する融資姿勢に厳しい見方をするようになったため、JHLがDへの融資を継続するには名前を伏せる必要があったことを否定するものではない上、Dへの出向経験を持つ系列企業の専務取締役から強く保証を求められたこと自体、Dの経営悪化を窺わせているのに、右系列企業だけでなく、Fまで介在させてJHLの名前を極力出さないように重畳的な迂回融資の方法を採ったJHLの対応から、JHLが経営状況の悪化したDに対する融資を隠ぺいする目的を有していたことを容易に看取できる。しかも、前記のとおり、平成三年一月期のDの経営状況が思わしくなく、それ以降も経営悪化の状況が急速に進んでいたことも併せれば、迂回融資がDへの融資を隠ぺいする目的でなされた異例の融資であったことは明らかであり、弁護人が前記主張の根拠として引用する関係者の供述(甲五)も右認定に反するものではない。

三  関係会社の状況

Dには、迂回融資の方法(スキーム)に組込まれているF等の関係会社があるので、これらの経営状況についても念のため検討する。

1 F

Fは、従業員数も少なく、貸付先は、Dの営業抵当者からの紹介が殆どで、信用力に乏しいものが多かった上、Fの資産として大きな比重を占める融資金債権は、他の金融機関から借り入れた金銭を顧客に融資しているので、顧客からの返済金の大半を借入先金融機関への返済資金としなければならないばかりか、顧客から徴求した担保物件は借入先金融機関と担保権を共有する形態をとっていて、担保権実行の際は借入先金融機関が優先弁済を受ける特約を付していた。しかも、平成三年一月期及び平成四年一月期に有していた融資金債権は、後記のDへの融資金債権を別にしても、殆どが元利金の支払のない不良債権であったり、顧客の資産状況の悪化から近く不良債権化することが明らかなものであった上、平成四年一月期の融資残高約三〇七億円中一九六億六六〇〇万円は、迂回融資によって急激に増加したDに対する融資金であったから、Fの有する融資金債権には、Dと独立した形での実質的な資産価値はなかったといえる(甲三六、六七、七七、七八、八〇ないし八二、九八(二六丁以下)、九九ないし一〇一、乙一一、一三等)。

Fの他の資産をみても、設立当初は特段の資産がなく、平成三年一月期の貸借対照表でも、みるべき資産は約四七〇〇万円の現金預金及び約三〇〇〇万円の有価証券しかなく、平成四年一月期の貸借対照表でも、固定資産として計上されている約九億円の土地建物は、Dの利益計上のために実勢価格の二倍ほどの高値でDから買い取ったもので、しかも、Fが購入資金を借りた金融機関の第一順位の抵当権が設定されていたから、担保余力が殆どないため、約二九〇〇万円の現金預金及び約四八〇〇万円の有価証券以外にみるべき資産はなかった(甲三六、七七等)。

そして、Fの平成三年一月期の経常利益は約三〇七四万円、当期利益は約四〇六万円であったが、未収金(未収利息のこと)約八一二九万円のほぼ全額である八一〇〇万円が事実上回収不能となっていて(甲三六、七七)、一〇月には債権保全のための仮差押費用七〇〇〇万円も出せずにJHLから融資を受ける状況であった(甲一二、二二、七七・五二頁)。

このように、本件融資当時、Dの一〇〇パーセント子会社で、特段みるべき資産のないFは、Dの経営悪化の影響を受けて経営状況が悪化していた。その後、Dの破産に伴い事実上の破綻状態となったこと自体、FがDから経済的に独立していなかった証左でもある。

2 その他の関係会社

被告人Aは、平成三年当時、国内外のコマーシャル、パーティ、その他各種行事の企画制作等を目的とするA・コーポレーション株式会社(四月に、株式会社Vから商号変更したもので、D関係者の呼称に準じ、以下「V」と表記する。)を経営していたが、同社には特段の資産がなく、利益も上がらず、利払資金の融資をDから受けるなど業績は不振であった。

被告人Aがマレーシアで経営するW等の関連会社は、Dからの送金で、高級コンドミニアムの建設、ゴルフ場開発等のマレーシアプロジェクトを進めていたが、本件融資当時、同プロジェクトの大半は計画が凍結されるなど利益を上げることが困難な状況にあって、唯一動いていたゴルフ場開発も、収支が芳しくなかった(甲五九、七一、七三、九三、一二四、一二六、一三三、乙一、一七、二一、被告人B・第七回・三一二丁、被告人A・第一三回・八二一、八二二丁等)。

3 小括

以上のとおり、F等の関係会社は、DのJHLに対する融資金の返済能力を補填するだけの業況になかったと認められる。

四  これまでの検討で、本件融資当時、Dは、関連会社を含めても、右融資の返済能力はなかったと認められるが、弁護人の主張に照らし、Dの経営状況の回復の見込みがあったかについて、更に検討する。

1 不動産市況の回復

被告人両名の弁護人は、不動産業界や経済評論家等の専門家の間では、大蔵省が前記総量規制を解除すれば、地価が再騰して不動産市況が活性化するなどという意見が大勢であって、公的機関も同調していたなどと主張する(被告人Aの弁論要旨八一ないし八七頁(仮定論を含む。)、被告人Bの弁論要旨二ないし一六頁)。そして公判で、被告人Aは、いずれも不動産市況等経済情勢が好転すると思っていた、被告人Bは、不動産市況の低迷が続いて地価の下落傾向が継続することになるとは予測し得ず、将来地価が回復し不動産市況も活発化することが予想されたなどと弁護人の主張に沿う供述をし(被告人A・第七回・二五〇ないし二五三丁、同・第一三回・七八四以下、八一六ないし八一八丁、同・第二四回・一八三六、一八三七丁、弁五八・九四九二、九五三八ないし九五四〇丁、六〇・九六四六、九六四七丁、被告人B・第六回・一七五丁、同・第七回・二一七、二一八、二九〇ないし二五九丁、同・第二三回・一七六八ないし一七七一、一七九八丁等)、C及びIも、平成三年当時、いずれも地価や不動産市況が回復するとの見方が一般的であるとの認識を持っていた旨被告人両名の供述に沿った供述をする(弁一六・二三丁、一七・一三ないし二二丁、二〇・五八ないし六一丁、二一・五、一一丁、C・第九回・三九四ないし三九六丁、同・第一二回・六九七以下、七一〇、七一一丁、I・第一六回・九九〇、九九一丁、同・第一八回・一二三九ないし一二四一丁、同・第一九回・一三六七丁、同・第二〇回・一四八八丁等)。

しかし、平成三年当時の政府の経済政策は、不動産市況の低迷をみて、金融緩和の方向に転換しつつも、総量規制解除後も「トリガー(引き金)方式」と称する総量規制の機動的再発動(甲一〇九・添付資料二三丁)を視野に入れ、地価税の新設(現に地価税は平成四年一月に実施され、同年五月ころには早くも業界から右実施について不満が出ている。甲一〇九・添付資料三三丁)等税制面でも地価抑制策を継続しようとするものであったから、たとえ地価が再騰してもすぐに抑えられ、地価の再騰によって不動産市況が活性化する状況にあったとはいえず、平成三年一二月末ころに総量規制が解除されたときも、不動産市況は活性化するには至らなかった(甲一〇九、弁八、一〇、一一、四〇、M・第三回・一二丁、B・第七回・二九一、二九二丁、同・第八回・三三五ないし三三八丁、C・第一二回・七〇一丁以下、X・第一四回・八六〇ないし八六二、八七〇丁等)。

しかも、様々な要因によって形成される地価の動向は、確実に予想できるものではなく(弁四〇)、現に平成二年ころから平成三年ころの不動産市況の見通しをみても、地価が再騰し、不動産市況が活性化するなどという意見がある一方で、不動産市況は引き続き停滞するとの予測や、更に地価が下落するとの予測もあるなど一様ではなかった(甲九五、一〇九、弁一一ないし一三、四〇、六〇・九六七七丁・六二・九七五九、九七六〇丁、六三、六五、X・第一四回・八五五ないし八五七、九六二丁以下等)上、Dの平成四年一月期の営業報告書(甲一〇八)でも、当期中の地価動勢の不透明感が拭えない状況にあることや、不動産市況は地価の下落等により、過去一五年間の拡大基調から一転して縮小期に入り、Dの業務の早急な回復は望めない状況にあるなど、不動産市況の今後の見通しについて必ずしも楽観的見方をしておらず、また、被告人Aは、公判で、平成三年に入ったころには今後の地価の回復は厳しいとの見方をしていたことを自認している(第一三回・七八六丁以下)ほか、被告人両名やCらも、公判で、地価が回復する見込みについても確実な根拠があるわけでないことや、平成三年後半から不動産市況は右肩下がりであったことを認めたり、不動産市況の見通しについて種々の見方があったことや、政府による地価抑制の政策が継続することを否定しないなど、地価が回復するとの前記各供述と一貫しない供述もしている(弁六二・九七五九丁、被告人A・第一三回・七八六丁以下、被告人B・第七回・二九三ないし二九五丁、同・第八回・三三七、三三八丁、C・第一二回・七〇六丁以下、同・第一五回・九一一丁、I・第一八回・一二四〇丁、同・第一九回・一三六三、一三六七、一三六八丁)。したがって、被告人両名の供述等をみても、本件融資当時、JHLやDの関係者が地価の騰貴やそれによるDの経営状況の好転を確信していたわけでなかったことは明らかである。

そして、地価が再騰して不動産市況が活性化するとの意見が大勢であった旨の弁護人の主張を前提としても、右意見は予測に過ぎず、客観的に不動産市況が回復していく状況がなければ、Dの客観的な返済能力が増すことにはならない上、前記のとおり、Dは、比較的売却しやすい物件から売却していたので、平成三年一月期に残った約六〇三億円の在庫というのは売却しにくい不良在庫であり、バブル崩壊前から月末の資金繰りに苦労していたことも併せ考えれば、多少不動産市況が持ち直す程度では賄いきれない程、Dの財務状況は悪化していたから、そのことで、本件融資が正当化されるものではなかったといえる。

2 収支改善計画の実現可能性

Dが平成三年一〇月に作成した収支改善計画(以下「収支改善計画」という。)は、①売上げの増大、②借入金総額約八六〇億円中の約三〇〇億円の借入金の金利棚上げ、③管理費及び建設等に関する融資金の金利負担が重くのしかかっていたD本社ビルの売却、④不採算部門であった「ホテルY」のDから別会社への分離を内容とする(甲二三・添付資料①、弁四八)ところ、被告人両名の弁護人は、右計画の達成が可能であり、近い将来Dの業況は回復するものであったから、Dの返済能力に問題はなかった旨主張する(A被告人の弁論要旨八六頁(ただし、仮定論)、被告人Bの弁論要旨四八ないし五五頁)。

(一) そこで、検討すると、①売上げの増大については、前記のとおり平成三年一月期の約六〇三億円の在庫は売却しにくい不良在庫であって、二月以降のDの売上げ実績は、八月、九月の売上げがいずれも一〇億円を割り込むほど急激に落ち込んでいる。また、平成四年一月期には、契約基準による売上げだと約一五八億一二三〇万円を計上しているが、監査法人から不適切と指摘された売上げを除くと一三二億円余りで、一か月平均の売上げ実績は約一一億円であり、平成五年一月期も、一か月平均の売上げ実績は、一一億円余りであった(甲七五・五六丁及び同添付資料)。

しかも、売上げ増加は地価の回復にかかっていたものの(弁五八・九五二〇丁、六一・九七一一丁、六二・九七六五、九七九五ないし九七九七、九八〇四、九八〇五丁、C・第一二回・六九九丁、同・第一五回・九一一丁等)、右回復が確実なものではなかったことは既に述べたとおりであって、融資する金融機関が右売上げ増加計画の妥当性を積極的に評価するのは困難であった(X・第一四回・八六七、八六八、八七〇ないし八七二丁)上、Dは、営業力が頼りなのに、経費節減のために、住宅販売の拠点である横浜支店を閉鎖するなど事業規模を徐々に縮小させ、平成三年八月から一〇月までの退職者が役職者四名を含めて六九名に達するなど販売組織力が縮小していた(甲五四、七二、七五、一〇八、弁六〇・九六六一ないし九六六四丁、六二・九七四九ないし九七五二丁)。そして、本件融資後のものであるが、前記「D(株)業務企画室審査報告」によれば、Dの在庫物件は、「バーター取引」によって取得された商品性に問題があるものが多く、立地条件に問題もあるなど販売に苦慮する旨指摘され(甲五一・一五、一六丁)、前記のとおり、現実にもDの平成四年一月以降の売上げ実績は伸び悩んでいた。

それにかかわらず、平成四年一月以降の一か月平均の売上げとして四五億円以上を見込んだ売上げ増大計画は、実現困難な内容であったといえる(I・第一九回・一三五一丁以下)。

他方、被告人両名は、ワンルームマンション等の分譲販売に活路を見出しており、売上げ増加は十分可能であったなどと弁解する(弁六〇・九六五六ないし九六五九丁、被告人B・第八回・三七〇、三七一丁、同・第二三回・一七五〇ないし一七五三、一七九七ないし一七九九丁、被告人A・第一三回・七八八、八一六ないし八一八丁等。右に沿うものとして、I・第一九回・一三五四、一三五五丁、N・第二一回・一六一四、一六二一、一六二二丁、同・第二二回・一六九四ないし一六九七丁等)が、右売上げ増加に向けた具体的方策の裏付けを欠き、現実にもそのようなことは実現していないのであって、到底採用できない。

(二) ②金利棚上げについては、約三〇〇億円もの金利棚上げであって、Dに融資した多数の金融機関の了解を得る必要があるところ、D自身、借入先が多岐にわたっていて実現可能性に問題があるとしていて(甲二三・添付資料一)、Tも、金利棚上げに関する金融機関への説得は非常に大変であるとの認識を有していた(弁六一・九七三〇丁、六二・九七六五、九七六六丁)上、平成三年八月にDが元利金の支払猶予を求めた日本長期信用銀行から、JHL以外の金融機関の動向がはっきりとしていないこと等を理由に金利棚上げを拒絶された(甲九六)ほか、D及びJHLが他の金融機関に対して収支改善計画に基づく金利減免の交渉を十分に行って成果を収めたとは認められないこと(甲九六・添付資料一二、弁五八・九五三二、九五四一、九五四二、九五四五丁、六〇・九六五二、九六五三丁、六一・九七二六ないし九七二八丁、六二・九七六六ないし九七六九丁、I・第一九回・第一三七〇ないし一三七四丁、同・第二〇回・一四八七丁、N・第二一回・一六二五ないし一六二九丁、被告人B・第二三回・一七五三、一七五四丁、T・第二四回・一八七五、一八七六丁等)も併せ考えると、金利棚上げは、実現困難な計画内容であったと認められる(N・第二二回・一六九三丁も同旨の供述と評価できる。)。

(三) ③D本社ビルの売却については、平成三年一〇月ころ、JHLから早く売却するように言われていたものの(被告人B・第六回・一九五丁)、同ビルは、建設資金を融資した金融機関の抵当権がついた一〇〇億円もの大型物件であって、不動産市況の回復が確実でない中、売却される見通しは乏しかった(甲九五、弁六二・九七六六、九七六七丁等)。

他方、Iは、公判で、Dの債務を引き受ける形で同ビルを他社に引き取ってもらう構想であった旨供述する(弁四六・二二ないし二四丁、I・第一九回・一三四四丁以下)が、建設資金を融資した金融機関の一つである住友銀行が、右引受先として想定されていた会社による債務引受けに反対するなど関係金融機関の協力が得られないため、右構想は、具体化できずに平成三年一〇月ころ以降に立ち消え状態になった(弁五八・九五三二ないし九五三四丁、六〇・九六五三丁、I・第一九回・一三四四以下、一三七四、一三七五丁)から、Iの右供述を前提としても、D本社ビルの売却は実現困難であったというべきである。

(四) ④「ホテルY」の別会社への分離については、Dが、同ホテルを、収益を保証して約五〇〇名の一般投資家に分譲していたため、その収益保証等に年間約五億円を要するなど分離後の資金調達が問題となるのに、同ホテルの厳しい経営への対応すらできていなかったから、前記分離の実現は困難であって、被告人Aが同ホテルを売り渋っていたことに照らしても、具体性を帯びたものではなかったといえる(甲二三・八一九丁、弁四五・六三、四八丁、四六・三〇ないし三二丁、六〇・九六五四、九六五五、九六七六丁、I・第一六回・九七五、九七六丁、同・第一九回・一三七五、一三七六丁、被告人B・第二三回・一八〇一、一八〇二丁)。

(五) 小括

(1) 以上のとおり、収支改善計画は、その内容に照らして、実現困難なものであったと認められ、被告人両名はもとよりCら四名もそのことを認識できていたと認められる。

このことは、以下の事柄からも裏付けられる。当時Dから同計画の提出を受けた関係金融機関の担当者やその他の関係者も、同計画が極めて楽観的なもので、絵に描いた餅に過ぎず、計画どおり再建されることはないなどと、右認定に沿う厳しい評価を一様にしている(甲九五、九八、一一三)。また、本件融資後のものであるが、前記「D(株)業務企画室審査報告」によれば、金利棚上げ、物件損切り処分の促進等を行ってもDの収支・財務状況の改善は期待できずDの自己努力による再建は不可能であるなど(甲五一・一六丁、I・第一六回・九八三丁以下)、右認定に沿う審査結果が得られている。Tも、公判で、収支改善計画は実現可能なものであったと供述する(弁六一・九七二四ないし九七二六丁、T・第二四回・一八七四、一八七五丁)一方で、大変厳しいが何とかこれでやらねばならなかったなどと、収支改善計画の実現が困難であるとの認定と矛盾しない供述をしている(弁六一・九七二五、九七二六、九七二八丁、六二・九七六二ないし九七六六、九七九五、九七九六丁)。

そして、収支改善計画を可及的早期の段階で実施するくらいの体制でなければ、本件融資当時のDの返済能力の向上にはつながらないのに、後記のとおり平成三年一〇月になってやっとJHL内で収支改善計画が紹介されたに過ぎないこと、しかも、収支改善計画は、DがJHLからその提出を再三求められ、内容まで指導されて初めて作成したもので(甲二三、弁四五・二九、三四、三五、六二、六三、六九丁、四六・一七ないし二一丁、五八・九五二八ないし九五三一丁、六〇・九六四二丁、I・第一九回・一三四九丁、N・第二一回・一六一九、一六二〇丁、同・第二二回・一七〇〇、一七〇一丁、被告人B・第二三回・一七四七ないし一七五〇、一八〇〇、一八〇一丁、T・第二四回・一八七四丁等)、Dの実質的経営者であって、ホテルYの処分等にも強い利害関係をもつ被告人Aがその作成に関わっていないこと(N・第二一回・一六一九丁、同・第二二回・一七〇〇丁、被告人B・第二三回・一七四六ないし一七四九、一七七五丁、被告人A・第二四回・一八四一丁)、JHLも母体行の興銀から各融資先の実態調査を再三求められていたこと(甲一一三、C・第一〇回・五五六、五五七丁)などを併せ考えると、収支改善計画は、JHLの社長がCからUに変わったときに、U或いは興銀等からDに対する融資の責任を問われるのに備え、H、Iらが、Dに収支改善を指導するなど不良債権をできるだけ増やさないように努力していたという、単なる形作りの目的でDに作成させたものであった旨の関係者の供述(甲二三)は信用できる。

そうすると、収支改善計画は、前記のとおりその実現自体困難である上、真にDの再建を目指して作成されたものでないと認められるから、何ら本件融資の正当性の判断を左右する事情には当たらないといえる。

(2) 弁護人の反論

被告人両名の弁護人は、収支改善計画は地価の上昇を前提に真摯に作成されたもので、メインバンクであるJHLがDを積極的に支援する方針であったから、同計画の実現は不可能ではなかったなどと主張する(被告人Aの弁論要旨九六、九七頁、被告人Bの弁論要旨四八ないし五五頁)。

しかし、地価の回復の見通しについては既に述べたとおりであって、地価の回復を前提とすることで収支改善計画の実現が確実なものになるわけではない上、総量規制や不動産市況の低迷が続く中、自らの資金調達にも苦心していたJHLは、メインバンクとしてDを積極的に支援する余裕が次第になくなってきて、本件融資当時は、Dに手形の支払時期を延ばさせるなど運転資金の融資額を絞り込ませるくらいの状況であった(甲二・九三、九四丁、五・一七五、一七六丁、八・二四八丁、弁一九・三六、三七丁、四五・三二、五二丁、四六・六〇丁、六一・九七二四丁、I・第二〇回・一四八七、一四八八丁、N・第二一回・一六二九丁、被告人B・第二三回・一七五六、一七五七丁、T・第二四回・一八七六丁等)。

弁護人が引用するCの公判供述も、メインバンクによる支援の一般論に終始し、Dへの融資状況等については記憶があまりないなどと言うだけで(C・第一五回・八七九丁等)、具体的にどのような方策でD支援を行うのか明確にしていない。また、JHLは、平成三年に入って、業績が悪化した融資先に対する基本方針を検討するための業務推進協議会を設置したにもかかわらず、同協議会でDの件が付議されたのは同年七月ころであって、しかも、主としてDの現状報告とDに対する融資金債権を子会社へ譲渡することが検討されただけで、Dの再建については殆ど議論されておらず(弁四五・五三ないし六一丁、四七、I・第一六回・九六七丁以下、同・第一八回・一二四三ないし一二五五丁、同・第二〇回・一四七九ないし一四八三丁)、七月三〇日に開かれた役員協議会でも、Dの現状報告と再建計画策定中との報告などがあっただけであって、一〇月までは、Dの再建が可能かどうか事前に調査・検討しないままDへの融資を実行していたのであり(甲二八・添付資料三、弁四五・六一ないし六五丁、I・第一六回・九七四丁以下、同・第一八回・一二五五丁以下、同・第二〇回・一四八三ないし一四八五丁、N・第二一回・一六二四、一六二五丁等)、収支改善計画が出された同月以降も、同月二二日の業務推進協議会で収支改善計画が説明された形跡はあるものの、Dの再建が可能か十分に検討されたとは窺われないばかりか、Dの支援継続の是非についても結論が出ず、Dの支援に向けた対応方針は定まらなかったというものであり(弁四四・一一ないし一五丁、四六・一三、一四、五六ないし五九丁、I・第一六回・九七七ないし九八三、九九三丁、同・第一九回・一三七五、一三七六、一三七八ないし一三八三丁)、右協議の際付議されたローン開発部発案の「D(株)について」(弁四八)をみても、収支改善計画の実現に向けた具体的な方策は示されないまま、Dへの融資が実行されている。

しかも、JHLは、具体的指示も与えないままTを役員としてDに派遣したのみで、多数の人材をDに送り込んで本格的にDの再建に努めようとはしていない(甲五四、弁六一・九六八五ないし九六九四丁、六二・九七五五ないし九七五七丁、I・第一九回・一三四二、一三四三丁、T・第二四回・一八六四ないし一八六六、一八九一ないし一八九三丁等。なお、JHLがTしかDに派遣していないのを、DがJHLによる根本的な救済措置を要するような状況になかったことの証左とする被告人Bの弁護人の主張(被告人Bの弁論要旨四四ないし四六頁)は、明らかに失当である。)ばかりか、Tは収支改善計画の策定作業に実質的に関与していない(弁六二・九七六一、九七六二丁、被告人B・第二三回・一七四七丁、T・第二四回・一八七三、一八七四丁等)などのJHLの動向からも、JHLの積極的支援による収支改善計画の実現可能性といったものは、全く看取されない。

したがって、弁護人の前記主張は採用できない。

3 新規事業展開の見込み

被告人Bは、公判で、平成三年になってマンション分譲の分野でDとダイエーグループとの業務提携の計画が持ち上がり、ダイエーの店舗を視察するなどした旨供述し(第七回・二九五、二九六丁等)、被告人Bの弁護人も、右供述を引用するなどして同旨の指摘をする(被告人Bの弁論要旨四七、八二、八三頁)が、被告人Bらの公判供述をみても、ダイエーグループによるDの株式の保有数を巡って話し合いが付かないなど、一〇月ころになっても、提携計画が具体化することはなく、その後も右計画が発展することはなかったと認められる(弁五八・九五一三、九五一四丁、六二・九七七一、九七七二丁、M・第三回・一四ないし一六、四八丁、被告人B・第六回・一七二ないし一七四丁、同・第七回・二二七、二二八、二九五ないし三〇〇丁、N・第二一回・一六一五ないし一六一七丁)。

そして、関係証拠によれば、平成三年当時、右以外に際立った新規事業の展開の見込みはなかったから、新規事業の展開によるD経営状況の回復の見込みはなかったというべきである。

4 以上のとおり弁護人の主張を検討しても、本件融資当時のDの経営状況に関する前記結論は左右されないと認められる。

五  本件融資の無担保性

1 Fは、迂回融資に際し、Dから、保有する一切の財産をFに提供するものの担保権や質権等の設定は留保する形態の総財産担保留保と称する担保(以下「総財産担保留保」という。)を提供されていた(甲六七、乙一三)が、総財産担保留保は、資産勘定物件担保留保と同様に、個別の財産を特定して担保としたものではなく、対抗要件を具備したものでもなかったから、担保と称したところで実質的には一般財産以上のものではない(I・第一八回・一二八四丁以下等)。そうすると、Nの公判供述(第二二回・一六九一ないし一六九三丁等)の趣旨に照らしても、本件融資の返済能力がないとされるDの一般財産にみるべきものはないから、総財産担保留保を金融機関が徴求する担保とは評価できないところであり(甲九、六七等)、このことは前記JHLの基準からしても同様である。総財産担保留保に担保価値がなく、本件融資が実質的に無担保であった旨認識していたとの被告人B及びIの捜査段階の供述(乙一三、甲二九等)の信用性が認められる。

しかし、公判で、被告人Bは、Fの資産勘定物件担保のみでは必ずしも十分な担保価値があったとは言い難いが、総財産担保留保と合わせれば十分な担保価値があった旨弁解し(被告人B・第二三回・一七八七ないし一七九一丁)、Iも、Dの総資産を押さえたことによって十分な担保を得られた(I・第一六回・九八六、九八七丁、第一八回・一二八四丁以下、第二〇回・一四六四ないし一四六七丁)などと右弁解に沿った供述をするので、Dの総財産の状況について念のため付言する。

2 Dの平成三年一月期の貸借対照表(甲六六等)によれば、主たる資産として、約四二億円の現金預金、約五一億円の受取手形、約二六億円の売掛金、約三五〇億円の販売用不動産、約二五三億円の仕掛販売用不動産、約一一二億円の有形固定資産、約一四億円の子会社株式、約一五億円の長期貸付金が計上されているが、現金預金中約一六億円が既に定期預金として銀行に担保提供されており、その余の現金預金も、後記と対比すれば明らかなとおり、平成四年一月期中にその大半が流出している。右受取手形及び売掛金については、その大半が事実上回収の懸念される債権であり、販売用不動産、仕掛販売用不動産及び有形固定資産については、その殆どが既にそれまでの借入金の担保として提供されており、子会社株式の大半を構成するとみられるW関係の株式は既に平成二年末ころJHLに借入金の担保として提供されており(甲二一、乙一七、I・第一七回・一一四一、一一四二丁、同・第二〇回・一四九三丁)、長期貸付金は、前記マレーシア・プロジェクトに関して融資されたとみられる(乙一七等)が、右プロジェクトの採算性に懸念があり、その他にみるべき資産はない。

Dの平成四年一月期の貸借対照表(甲七二等)によれば、主たる資産として、約一〇億円の現金預金、約四七億円の売掛金、約五五五億円の販売用不動産、約八七億円の仕掛販売用不動産、約一〇億円の短期貸付金、約一〇八億円の有形固定資産、約一四億円の子会社株式、約一五億円の長期貸付金が計上されているが、現金預金については、約九億円が定期預金の形で銀行に担保提供されており、売掛金については、その大半が事実上回収不能な債権とみられ、販売用不動産、仕掛販売用不動産及び有形固定資産については、前記同様、既存借入金の担保として提供されており、短期貸付金及び長期貸付金については、マレーシア・プロジェクトに関して融資されたものとみられるから、前記と同様であり、子会社株式についても前記と同様であって、その他にみるべき資産はない。

JHLの業務企画室も、前記「D(株)業務企画室審査報告」の中で、総財産担保留保が実質無担保であると認定している(甲五一)ほか、本件融資後の平成四年一〇月ころJHLに対して実施された大蔵省検査でも、資産勘定物件担保留保等の担保徴求方法には大いに疑義があると指摘され、長年にわたる多額の運転資金の融資の殆どが実質無担保であって、加えて、迂回融資の方法をとったことについて強い疑義があり、金融機関の正常な貸出態様とは思われない旨評価されている(甲一二一)。

以上によれば、総財産担保留保は実質的にみて担保価値がなかったと認められる。

なお、Iは、JHL事件の公判で、被告人Aが保有していたDの株式一〇〇万株も本件融資の担保として徴求し、約七億円の担保価値を見込んでいた旨供述する(弁四五・五一、六七丁)が、右株式は、平成三年七月三一日ころ実行された被告人Aの納税資金の融資の担保として徴求されたものである(甲一四、二四、乙一九等)上、仮に右株式を本件融資の担保として徴求していたとしても、経営状況が悪化しているDの未上場未公開株式に、Iの言うような高額な担保価値があったとは到底認められない。

第二  Cら四名の特別背任の成否

一  Cら四名に特別背任が成立すること

被告人Bの弁護人は、身分のない共犯者とされる被告人両名の刑事責任が激しく争われている身分者の刑事責任に先行して問われることを本件の特異性として主張する(被告人Bの弁論要旨二頁)が、手続上問題とすべき点はない。そして、本件での検討は、身分者であるCら四名の刑事責任それ自体やその程度ではなく、被告人両名に特別背任罪が成立するのに必要な身分者の刑事責任の有無に留まり、少なくともその一名について同罪が成立して被告人両名がその者との間で共同正犯と認められる関係にあれば、被告人両名の刑事責任を肯定できることは当然であって、右の観点から、以下の検討を行ったものである。

1 財産上の損害

これまでの検討結果によれば、本件融資実行の各時点で、その都度、JHLに対し、その融資金相当額の損害を与えたことは明らかであって、前記のとおり、融資合計金額一八億七〇〇〇万円は回収されておらず、同額の損害は回復されていない。

2 本件融資時にDに右融資金の返済能力がなかったことに関するCら四名の認識

(一)  Cら四名の認識については、一部既に述べたとおりであるが、昭和六二年一二月以降、Dに対し、ほぼ毎月のように長期間・継続的に運転資金の融資を実行しながら、Dの資金繰りが一向に好転せず、平成二年九月以降Dからの融資金の返済が滞り、右融資の際の担保評価を大幅に水増し査定してきたのも平成三年に入ると限界に達してきたことなどを認識していたと認められるから、遅くとも、Dへの直接融資が表面化するのを避けるためなどの理由で迂回融資を開始した平成三年四月の時点までには、融資を継続してもDからは融資金を回収できないことを未必的にせよ認識し始めていたと認められる。

また、JHLが、迂回融資の際、Rから求められて、FのHLKに対する債務について保証予約をした経緯や、I及びKが、迂回融資に先立ち、平成三年一月期等のFの会計書類を入手して、同社の会社要項も作成し、H、Cも、順次それらを閲覧するなどしていたから、Cら四名は、FがDからの財産的独立性に乏しく、経営状況も悪いことを認識していたと窺われる(甲九、二二、二九、三六等)。

そして、Cら四名は、平成三年二月以降Dの売上げが急激に落ち込み、借入金額及び金利負担が増加して債務超過に陥っていたことを、八月一三日付けのT報告を順次閲読して明確に理解していた(甲一一等)から、いずれも、そのころ、Dの経営が事実上の破綻状態にあることをより明確に認識していた。その後も本件融資金の使途に関するメモを見るなどしてDが引き続き資金繰りに窮していることを認識していた(甲一一・三六六丁等)から、両社が本件融資の返済能力を有していなかったことを認識していた旨のH、I及びKの捜査段階の供述(甲二二、二八、三六)の信用性を肯定でき、右認識を公判で否認し、捜査段階でも明確には認めていないCを含めて同人ら四名は、本件融資当時には、同融資を実行しても融資金を回収できないことを更に明確に認識していたと認められる。

このことは、D側のNから「どうして、JHLは、Dに融資してくれるんでしょうね。」と言われたとのIの前任の融資担当者であるJの供述(甲四三)、運転資金の融資が恒常的になった平成二年ころには、Dの資金が枯渇し、JHLの融資金の回収がほぼ不可能であると判断できたと理解した、JHLの経営状態等を最優先に考えるなら、平成二、三年ころにDとの取引を打ち切るべきであり、本件後の平成四年に入ってから、Iに対し「何故、このようにひどい金の貸し方になってしまったのか、担保に取った物件の評価に余りにも無理があるのではないか。」と何度も質問したとのZの供述(甲五二)によっても裏付けられている。

(二) C及びIの公判供述

公判で、Cは、不動産業界全体が苦しく、Dだけが格別苦しかったわけでなかったので、平成三年初めころまでその経営状況を特段問題視していなかった上、本件融資当時も、Dの経営が事実上破綻しているとの認識はなかった(弁二〇・四八、四九、五七ないし七四丁、C・第九回・三九五ないし三九八丁、同・第一二回・六八九、六九〇丁等)、Iも、平成三年当時厳しい状況にあった不動産業界の中でも、とりわけDの状況が厳しいとの認識はなかった(I・第一八回・一二三八、一二三九丁)などと供述する。

しかし、右各供述は、関係証拠に照らして信用できないばかりか、Cは、被告人Aが前記法人税法違反事件で逮捕されたことを知って、Dへの貸付残高が二百七、八十億にのぼっていたので、Dが信用不安に陥って倒れたりしたら困るなあと思い(甲一三)、平成二年後半ころからDを含め不動産会社の状況は、総量規制等の効果が出て相当厳しい状況になり始めて以来悪化し続けており、他の不動産会社の倒産が出始めた平成三年後半にはDの破産の可能性を認識しており(弁一六・二二ないし二四丁、二〇・四七ないし四九、五四、六〇丁、二一・九、一〇丁、C・第九回・三九四丁、同・第一〇回・四九三丁、同・第一二回・六九六、六九七丁、同・第一五回・九一〇丁等)、平成二年後半からDへの運転資金融資の担保は不足する厳しい状況にあって、本件融資で用いられた資産勘定物件担保留保も実質的には無担保に近いものであり(弁二〇・五〇、五一、五七丁、C・第一〇回・四九二、四九八丁、同・第一二回・七一八ないし七二一丁、同・第一五回・九一〇丁等)、Dに対する月末運転資金の融資が昭和六二年末から平成三年までの長期間継続し、その原因がDの経理財務面の組織が十分でないことにあることを認識していた(C・第一〇回・四九三、四九四丁、同・第一二回・六八一ないし六八三、六八九、六九〇丁等)などと前記認定と矛盾しない供述もしている。

また、Iも、Dを含めた不動産業者の営業状況等は、総量規制等の効果により、平成二年後半から陰りが出始め、平成三年に入ると厳しい状況になり、時期を追うごとに一層厳しさが増しており、同年四月ころからはD倒産の可能性も認識していた(弁四五・四五ないし四九、五二ないし五四丁、四六・一六丁、I・第一六回・九五一、九五二、九六七、九八五丁、同・第一八回・一二一八、一二三三、一二三八丁、同・第一九回・一三六九丁)、平成三年六月ころから、Dの自力再建は限界にきていて、七月及び一〇月に開催された前記業務推進協議会での自らの報告(弁四七、四八等)でも、Dの現状が大変厳しいとの認識を示しており、右両会に列席したJHLの役員らもその旨認識していた(弁四五・五四ないし五七丁、四六・二、三、一五、一六、一九丁、I・第一六回・九七七、九七八丁、同・第一八回・一二四四丁、同・第一九回・一三四〇丁)、売上げ基準を変更したDの平成三年一月期決算については、相当無理をした決算であると認識していた(弁四五・三四丁、I・第一六回・九五七、九五八丁、同・第一八回・一二三五ないし一二三七丁)、平成二年の後半辺りからDの担保状況は厳しく、相当無理をした担保査定をしており、平成三年春ころには余力のある担保物件はなくなっていた(弁四五・三、二四、三七、三八、四九丁、I・第一八回・一二七六、一二七八ないし一二八〇丁)などと前記認定と矛盾しない供述もしている。

したがって、C及びIの各公判供述は、前記認定を左右するものではないと認められる。

3 Cら四名の任務違背とその認識

これまで検討したところからも明らかなとおり、Cら四名は、本件融資当時、Dの経営状況は事実上破綻の様相を呈しており、その経営状況が回復する見込みはないなど、両社を始めとするDの関係会社には債務の返済能力がなく、両社には本件融資金を十分に担保する資産がないことも認識しながら、本件融資を、Dに対し、HLK・Fを経由する迂回融資の方法によって実行させたから、前記保証予約が完結してJHLがHLKに連帯保証債務を負担し、しかも、右債務の履行に基づいて求償権をFに行使しても本件融資金の回収が危ぶまれる状態にあったことを十分認識していたと認められる。

そして、貸付資金を他の金融機関から借り入れるなどのために金利が高くなりがちな住専としての性格上、都市銀行等が受け付けない或いは受け付けを渋る個人の住宅購入者や不動産会社等への融資といった微妙な融資判断を強いられるいわゆる限界金融を行うことが少なくないことを考慮しても(甲二六・八六五丁、弁一六・四ないし一一、三八丁、一七・二ないし六丁、二〇・二八丁、四三・九ないし一三、一八ないし二〇丁、I・第一六回・九五〇、九五一、一〇〇七、一〇〇八丁等)、JHLを本件融資金の回収が危ぶまれる状況に置くことが、犯罪事実記載のCら四名の各任務(甲一、八、一八、二六、三一、三二、C・第九回・三九二、三九三丁等)に背くものであって、Cら四名が右任務違背の認識を有していたことも認められる。特に、Dへの融資継続は、JHL内部の反対・批判はもとより他の金融機関の融資動向に照らしても、避けるべきであったにもかかわらず、これらを封殺・無視してきたCには、右任務違背の認識を優に肯定できる。

4 Cら四名の図利目的

Cは、Dへの高額で継続的な融資に積極的に応じてきたばかりか、Dの救済につながらず、JHLにも損害が拡大するだけで客観的に何の利益ももたらさない本件融資を行った動機・目的を必ずしも明らかにしていないが、融資を打ち切ってDを倒産に追い込むと、前記のとおり、昭和六二年一二月以降資金繰りが好転しないDに対して担保物件の水増し評価や迂回融資の方法をとってまで月末運転資金の融資を継続してきたことや、Dの不良在庫不動産の処分に協力してきたことなど、JHLがそれまでにDに対して行った数々の支援の実態や、被告人A個人に対しても、Dの増資新株払込資金や同被告人の納税資金を融資し、前記法人税法違反被告事件の保釈保証金の融資先を斡旋するなど、JHLが本来扱う事業ローンの範疇に入らない支援も行っていたことなど(甲七、一三、一四、二一、二七、二八、一〇六、一一九、乙三、一五、一九、被告人B・第七回・三一七ないし三二一丁、C・第一一回・六四八丁以下、同・第一二回・七一二丁以下等)が対外的に明らかになり、不動産融資に対する社会的批判の高まる中、これらDへの支援を積極的に進めた自己の責任問題に発展するおそれがあったため、これを回避しようとして、本件融資を実行して、JHLに損害が生じることを意に介さずDの利益のためにその延命を図ったものと推認される。

Cと同様の事情にあったH、I及びKも、Cに賛同して行ったDへの数々の融資等の支援の実態が対外的に明らかになって責任を追及されるおそれがあったばかりか、既に述べたように、JHL内でいわゆるワンマン社長として強大な権限を持っていたCの意向に逆らえば人事上の不利益な処遇を受けるおそれがあったため、これを回避しようとして回収が危ぶまれる中、従前の運転資金融資に引き続いて、本件融資を実行して、Dの利益のためにその延命を図ったものと推認される。そして、Hが、運転資金を融資し始めて半年くらい経った昭和六三年夏ころには、右融資を開始した経営判断に誤りがあり、ずるずると融資を継続することを社内的にもできるだけ知られないようにしておいた方が良いと考え、ローン開発部のJ部長とK副部長に、運転資金の貸出しと分からないように貸出稟議書に記載するように指示したほか、Dから融資金の元本返済がなされなくなった平成二年九月ころからは、Dから融資の返済を受けることは不可能と考えるようになったが、融資を打ち切ってDを倒産に追い込めば、これまで巨額の融資を実行していたことが明らかとなって自らの経営責任を問われることになり、また、Dへの支援を押し進めてきたCに対し融資の打ち切りを進言すれば、人事上不利益な処遇を受けるおそれがあったことなどから、Dへの融資を実行し続けたなどと述べ(甲二一)、Iが、前任のJ部長からローン開発部長を引き継いで以来、Cら上司の指示に逆らって自己の地位を危うくしたくないために、財務状況が悪化し十分な担保も提供しないDへの運転資金の融資を継続したのであり、平成三年四月には、右のような自己保身の目的のほか、これまでのDに対する不正な運転資金貸出しが公になるのを回避するために、Hの指示を受けて、実質的に無担保で回収の実現が極めて困難とみられた迂回融資の実行の手続きをとったなどと述べ(甲二七、二九)、Kも、昭和六二年一〇月ころには、住専は、預金を受け入れているメインバンクの銀行と異なり、日常の資金繰りの管理が十分にできないから、運転資金を貸すようなことはおかしいと考えていて、無計画な仕入れが資金繰りを圧迫しているDへ運転資金を融資することは回収に少なからず不安があり(甲三五)、平成三年四月当時、Dの運転資金の返済は不可能で、Fにも独自の返済能力はないと考えており、自分の地位を守りたい一心で、迂回融資実行の手続きをしていたと述べる(甲三六)などH、I及びKの捜査段階の供述も右推認に沿うものである。

以上によれば、検察官が主張するCと被告人Aとの個人的癒着の露呈を防ぐ目的の有無を検討するまでもなく、Cら四名は、それぞれ、自己保身やDを利する目的で、本件融資を実行したことが認められる。

なお、本件融資当時、Cら四名が個人的な金銭的利益を直接意図したと窺わせる証拠はなく、他方、Cら四名は、Dを破綻させてそれまでの巨額の融資残高を回収不能にするよりは、何とかDを延命させて、その間に不動産市況が好転してDの経営状況が回復することに望みを託していて、その意味で、結果的にJHLに利益の生じることを希望していたことも窺われるが、厳正に融資の実行を行うべき融資担当者という立場からみて、不動産市況が好転してDの経営状況が回復するといった希望が有意義なものでなかったことはこれまで述べたとおりであり、また、Dに働きかけて本件融資金額を絞り込んでいたH、Iは、JHLの損害を少なくしようとの意図を有していたともみられるが、Cら四名の情状として考慮されるか否かは別として、これらの事情で、前記目的の存在が否定されるものではないと認められる。

二  弁護人の反論

1 被告人両名の弁護人は、Dは十分な担保を提供していなかったかもしれないが、返済の可能性が一〇〇パーセントでなければ融資できないものではなく、当時の経済情勢、将来の経済の見通し、融資先会社の状況等を総合的に判断して融資するのであって、本件では、JHLのメインバンクとしての役割や、Dが破綻すればJHLの損害が拡大するばかりか信用不安を惹起して金融制度全体の崩壊につながることなども考慮すべきであったことなどを前提に、本件融資が救済融資或いはJHLの損害回避目的の融資であったとして、Cら四名に任務違背及び図利加害目的がなかった旨主張する(被告人Aの弁論要旨九八、一〇二ないし一〇五頁、被告人Bの弁論要旨三八ないし四二、九四ないし九七頁等)。そして、公判で、Cは、本件融資は、担保不足にもかかわらず、メインバンクが業績不振の会社に会社に対して一般的に行ういわゆる救済融資であって、Dの再建を意図したものであり、仮にDの経営が結局は行き詰まるとしても、JHLの営業基盤の維持、資金調達の都合、金融情勢等の見地から、Dに対する融資を止めて倒産に追い込むことは、JHLの利益にならず、むしろ大きな損害を生むことから、運転資金の融資を止めるわけにはいかなかった旨供述し(弁一六・三二ないし四八丁、一七・五丁、二〇・五七、五八、六九ないし七四丁、二一・二ないし一三丁、C・第九回・三九七ないし三九九、同・第一〇回・四八七、五四九ないし五五一丁、同・第一一回・五七〇ないし五七五丁、同・第一二回・七一九ないし七二一丁等)、Iも、金融機関も自身の経営上大きな損害を被るおそれがある場合、債権保全面から支障を来す場合等には回収の目途がない状況で融資することもあり得るところ、本件は、担保不足ながらメインバンクとしてDの再建を意図した救済融資を行ったものである旨供述し(弁四四・二六、二七丁、四五・四六ないし四九、五七ないし六〇丁、四六・二、一五ないし一七丁、I・第一六回・九八八ないし九九一丁、同・第一八回・一二七八丁)、それぞれ弁護人の主張に沿う供述をする。

しかし、これまでの認定によれば、本件融資は、返済能力も経営状況回復の見込もないDに対するものであって、融資を継続してもJHLの損害が拡大するおそれが高かったものである。

そして、Cらの供述を前提としても、救済融資を行うには、相手から経営再建の計画書等の資料を出させて、計画の妥当性等を調査・検証する必要があり、その結果、計画が妥当で、実現可能であると判断されて初めて救済融資を行うことになるところ、(C・第一一回・五七一ないし五七五丁、X・第一四回・八五一、八五二、八六六ないし八六八丁、I・第一七回・一一六〇ないし一一六五丁)、前記のとおり、Cら四名は、融資金額を絞り込んだとはいえ、収支改善計画の妥当性、可能性を十分調査・検討した形跡はないのであって、持ち回り決議の形で実行された本件融資がCらの言うDの救済融資であったなどとは認められない。

また、C及びIの公判供述をみても(C・第一一回・五七三丁、I第一七回・一一六四、一一六五丁)、例えば、平成四年一〇月になされた、Dが行き詰まった際にJHLに降りかかるであろう影響等の検討(甲五二及び同号証添付「D(株)倒産時対策」と題する書面)のように、Dの倒産によるJHLの利害得失等を十分に調査・検討した形跡もないから、本件融資がJHLの損害回避の目的を主としたものであったとも、まして金融制度全体の崩壊を回避しようとしてなされたものであったとも認められない。

したがって、弁護人の前記主張は、採用できない。

2 被告人Bの弁護人は、JHLの役員は、前記業務推進協議会等で報告を受けてDの現状等を認識した上で本件融資の稟議書を決裁しており(I・第一六回・九五八、九五九、九六五、九六六、九七三、一〇一三、一〇一四丁、同・第二〇回・一四七九ないし一四八六丁等)、Cらが他の役員に隠れて本件融資を実行したわけでないから、やましいところはなかったと主張する(被告人Bの弁論要旨三四ないし三七頁)。

しかし、前記のとおり、JHL内では、経営状況の悪化したDへの融資の是非を本格的に討議したことはなく、また、JHLがDに融資するに当たっては、通常の融資手続と異なり、持ち回り決議によって、C及びHが決裁すれば他の役員の意見を聴取することなく融資の実行が承認されていたものであるから、弁護人の主張は前提自体が適切でない。さらに、右持ち回り決議に関与し、平成四年一月にCの後任としてJHLの代表取締役社長に就任したUでさえも、平成三年六月にJHL副社長に就任後HらからDの大まかな業況の報告を受けるなどしてDの業績が悪いことをそれなりに知っていた(甲二三、三八)のに、業務企画室作成の前記「D(株)業務企画室審査報告」を見て、Dが将来的に倒産を免れないことや、担保評価額がかなり水増しされるなど従前のD等に対する融資の実態を知って驚いたというのだから(甲五一、三人)、Cら四名以外の役員等JHL関係者にはDの現状等が詳細に周知されてはいなかったと認められる(甲三八、四〇等)。

したがって、弁護人の前記主張も採用できない。

3 被告人両名の弁護人は、Dを取り巻く状況にそれほど変化がないのに、本件融資後のJHLからDへの融資が訴追されていないことと対比すれば、本件融資も適法であるなどと主張する(被告人Aの弁論要旨一三、一四頁、被告人Bの弁論要旨一、五五ないし五九、九四頁)。

しかし、平成四年一月以降にJHLがDに実行した融資は、前記のとおり、代表取締役社長がUに変わった後のもので、しかも、JHLは、業務企画室での調査結果を踏まえ、Dの自力による再建は不可能と判断して、その清算を前提とする方針を打ち出すなどDへの対応を一変させ(この点は、被告人Bの弁護人も認めている(前記弁論要旨五五、五六頁))、融資金額も極力抑えたものとなっている。

したがって、本件融資後になされたJHLからDへの融資が訴追されていないことに不自然な点はなく、弁護人の前記主張は失当である。

第三  被告人両名の特別背任の成否

既に述べたように、本件融資は被告人両名の意思の合致の下になされたものであるが、その余の点も含めて検討する。

一  Dに本件融資の返済能力がないことに関する被告人両名の認識

1 被告人Bの認識

被告人Bは、Dの代表取締役副社長或いは社長としてだけでなく、経理面を統括していて、経理担当者から逐一財務状況を報告され、自らもJHLに赴いて月末運転資金等の各種融資を依頼していて(甲六四ないし六七、乙一一、一三、被告人B・第六回・一四三、一六二ないし一六四丁等)、その際、Iらから、JHLとしてもこのままではDを支援できず、担保となるものをきちんと出すよう再三告げられていたこと(甲二八、三七、乙一四、被告人B・第七回・三〇四ないし三〇八丁)、迂回融資の方法(スキーム)を、Iから説明されて十分理解していたこと(甲二九、乙一三)、平成三年一月期及び平成四年一月期の決算報告書の作成にも関与していたこと(甲六六、七二、乙一一)などからして、前記のとおり、Dの経営状況が、平成二年後半から急速に悪化し、次第に融資金の返済能力を喪失し始め、平成三年に入っても回復の兆しはなく、時期を追う毎に悪化の一途を辿り、本件融資直前には事実上の破綻の様相を呈するようになって融資金の返済能力を喪失し、本件融資当時も右状況に変わりのないことを十分認識していたと推認される。

被告人Bの捜査段階の供述(乙一一、一三)も、右推認に沿うものであって、Dは、バブル絶頂期から既に大量の不良在庫を抱えて恒常的な運転資金不足の状態にあったので、平成二年三月からは総量規制がかけられるなど不動産市況がどんどん厳しいものとなるといったバブル崩壊後の厳しい経済情勢下で、経営再建を図ることができるはずもなく、迂回融資が始まった平成三年四月当時の認識としては、何とかDを立ち直らせたいという気持ちは強かったが、それも単なる願望にすぎず、Dは、バブル期を上回る急激な不動産価格の上昇が起こって、Dの抱える不良物件がどんどん転売できるという奇跡でも起こらなければ、再建を図ることはできない状態であって、JHLからの運転資金の融資を受けてようやく倒産を免れている状態であったから、右融資の返済ができない見込みが強いことは良く分かっていた、本件融資当時も、Dの経営状況は、事実上破綻して再生の見込みがないことに変わりはなく、担保もなく融資金を返済できる能力もなかったなどという信用できる内容である。弁護人申請証人の公判供述の中にも、Dが本件融資金を直ちに返済することは困難であったという内容のものもある(N・第二一回・一六一四丁等)。

また、被告人Bは、代表取締役社長を務めていたFについても、Dと同様にその経営状況を把握していたと推認され、捜査段階の供述(乙一一)も、平成三年ころには、Dへの融資が回収不能になれば、Fも倒産してしまう状態であった旨信用できる内容である。

そうすると、被告人Bが、本件融資当時、両社にその返済能力がなかったと認識していたことは明らかである。

また、被告人Bは、他の関係会社の経営状況についても十分把握できる立場にあった(乙一七、二一)から、これら関係会社に返済能力がないことも認識していたと認められる。

他方、被告人Bは、公判で、Dが倒産すると考えたことはないなどと本件融資当時のDの経営状況について、捜査段階より後退した供述をし、Dの経営回復による本件融資金の返済の可能性を肯定するが、同時に、自らDの社長に就任したころ、Dの経営は当時の不動産業界と同様逼迫していたこと、運転資金を長期間継続的に借り続けたのは望ましいことではなかったこと、Dは、本件融資を受けた時点では担保が不足していて、それを返済できなかったが、借入れができなければ倒産してしまうので、JHLに融資を依頼し、右融資金は営業行為による利益を上げて返済するつもりだったこと、仮に本件融資を受けられなければDはそのうち倒産していたことなど(被告人B・第六回・一七七、一七八丁、同・第七回・二一七、三一六丁、同・第八回・三三八、三五〇、三五六、三五七、三六八、三六九丁等)、前記認定に沿った認識も供述しているから、被告人Bの公判供述は、全体として前記認定を左右するものではない。

2 被告人Aの認識

被告人Aは、平成二年八月或いは同年一一月に両社の代表取締役退任後も引き続き両社の実質的経営者として、経営状況について随時被告人Bらから報告を受け、経営上の重要事項の決定に参画し(甲五六、五八、六一、六三、乙四、一二等)、DがJHLから月末運転資金の融資の実行を受ける際も、被告人Bの報告を受けて了承しており(甲六七、乙四、一二、一三、被告人B・第六回・一八五ないし一九五丁、同・第七回・二一九ないし二二五、二二八、二二九、三二四、三二五丁、同・第八回・三五〇ないし三五五丁等)、平成三年一月期におけるDの赤字決算回避を強く指示していたほか(甲六六、乙四、一一等)、遅くとも平成元年に入ったころには、不動産市況に陰りが見え始めて、JHLからの運転資金の借入れが常態化していたので、Dの経営がかなり厳しい状況にあることを認識しており(乙二)、平成三年七月ころ以降、Dの役員に対し、Oを通じて「会社を潰さないで欲しい。」などの前記メッセージを伝えて、Dの経営状況が厳しい旨の認識を示していたこと(甲五四)などに照らしても、本件融資当時の両社の経営状況が事実上の破綻の様相を呈していることの認識を有していたと推認できる。

しかも、被告人Aは、捜査段階でも、本件犯行を詳細には認めていないものの、平成三年初めころ、Dの経営が著しく悪化していたことを認める旨の、右推認に沿う供述をしている(乙四)から、両社に本件融資の返済能力がなかったことを認識していたと認められる。そして、被告人Aは、V等他の関係会社も経営していたから、これらの会社に返済能力がなかったことも認識していたと認められる。

3 被告人Aが両社を実質的に経営していたこと

2の判断は、被告人Aが両社を実質的に経営していたことを前提としているところ、同被告人の弁護人は、被告人Aが、前記法人税法違反事件を謹慎する意味で両社の代表取締役を辞任し、同事件で執行猶予付き有罪判決を受けた直後の平成三年一月一四日にDの全社員を集めた朝礼で、今後は被告人Bを中心とする体制でDの経営を行う旨明言して以来、両社の経営は被告人Bを中心として行われていて、被告人Aは前記マレーシアプロジェクトの関係で海外生活が多く、被告人BらからJHLによる月末運転資金の融資に関する報告を受ける余地はなかったこと、Dの収支改善計画等の策定に参画しておらず、迂回融資も被告人Bから報告を受けていなかったことなどを理由に、両社の代表取締役辞任後における被告人Aは、人事案件を除いて、両社を実質的に経営しておらず、本件融資に関与した事実はない旨主張し(被告人Aの弁論要旨一四ないし一九、六一ないし六六頁)、右事実を肯定するD関係者の捜査段階の供述の信用性を争い(同弁論要旨一九ないし六一頁)、被告人Aも、公判で、右主張に沿う弁解をする(第七回・二四四ないし二五〇、二六〇ないし二六五、二六九丁、第一三回・七六一ないし七六六、八〇七ないし八一七丁等)。

しかし、弁護人の右主張は、被告人AがDの大株主であることと「実質的経営者」であることとを峻別したり、被告人AがDの人事案件に関与していることを認めつつも本件融資への関与を否定するなどして、被告人AがDを実質的に経営していたことを否定しようとするものであって、それ自体合理性に乏しいものである上、次に検討したところに照らしても、採用できない。

(一) 被告人Aは、Dの発行済株式一五〇〇万株のうち、平成三年一月末時点では53.56パーセントに当たる八〇三万四〇〇〇株を、平成四年一月末時点では52.76パーセントに当たる七九一万四〇〇〇株を保有していて、被告人Aが実質的に経営しているV保有株も含めれば、D発行済株式の七〇パーセント近くの株式を保有していて(甲六六・添付資料⑳、甲七二・添付資料①、甲一〇八、乙二等)、代表取締役辞任後も、被告人Bから平成三年一月期の決算報告を受け、赤字決算回避を強く指示したこと(甲六六、乙一一、被告人B・第六回・一六七丁、同・第二三回・一七七一、一七七三丁等)や、平成三年中に被告人BからDの役員人事に関して相談を受け、平成四年四月には、当時のDの役員を自宅に集め、今後の役員人事を協議したこと(甲五四、五六、六〇、六二、七九、乙一二、被告人B・第六回・一四二丁等)などを公判でほぼ認めており(被告人A・第一三回・七六七以下、八〇五ないし八〇七丁、同・第二四回・一八二八、一八二九、一八三二、一八三三丁等)、前記執行猶予期間満了後にDの経営に復帰する考えを有していたこと(被告人A・第二四回・一八三五、一八五九丁)なども考慮すれば、被告人Aが代表取締役辞任後もなおDの経営に多大な影響を及ぼし得る立場にあったことは明らかであり、Dの一〇〇パーセント子会社であったFについても、同様であったと認められる。

そして、被告人Aは、平成二年八月のDの代表取締役社長辞任後、一旦は子飼いのMを社長に据えて被告人Bの代表権を外したものの、被告人Bを信頼するJHLから苦情が出たため、被告人Bを社長とし、その代わりにM及びOを副社長に据え、同年一一月に代表取締役会長を辞任したときには、妻の花子を会長に据えるなどしていて(甲五六、五八、六三、乙二、一〇、一六、M・第三回・三丁、O・第四回・五九、六〇丁、花子・第五回・九七丁、被告人B・第六回・一四〇、一四一丁、被告人A・第七回・二七三、二七四丁、同・第一三回・八二〇、八二一丁等)、右辞任後もDの経営への支配力の維持を図ったことが窺われる。

加えて、被告人Aは、自己の資産を投じて設立したDを苦労して育てあげ、Dの破産申請の際は、当時の代表取締役社長Mから了承を求められるなどしている(甲五八、六一、乙二、四、一八、被告人A・第七回・二三一、二七一、二七二丁、同・第二四回・一八二四ないし一八二六丁等)ほか、自己が保有するDの株式をJHLからの融資金の担保に供しており(弁四七、I・第一八回・一二五二ないし一二五五丁、同・第二〇回・一四六四丁等)、また、被告人Aが本件融資当時熱心に取り組んでいたマレーシアプロジェクトはDの支援を受けていて(甲一二四、乙一七、被告人A・第一三回・七八二ないし七八四丁、八三〇丁以下)、同プロジェクトを進めていたWの株式は前記のとおり平成二年末ころDのJHLからの借入金の担保に供されていたから、被告人Aは、Dの代表権を失った後も、Dの存続及び経営状況に非常な関心があったといえる(被告人A・第一三回・八二九丁)。

D関係者の供述(甲五六、五八、六一、六三、七三、七六、乙一二、一七、N・第二一回・一六三六ないし一六四一丁等)も、右推認に沿うものであって、被告人B及びその他のD役員らが、代表取締役社長或いは同会長辞任後の被告人Aに対し、直接或いはOらを通じて、両社の人事、財務、営業、会社組織等の経営全般について報告し、被告人Aも、直接或いはOらを通じて、両社の経営全般について指示を与えていた状況等を一致して供述しており、とりわけ被告人Bの供述(乙一二、一三、被告人B・第六回・一四八ないし一五一、一六四ないし一六六丁、同・第七回・三二二ないし三二七丁、同・第八回・三五〇ないし三五五、三六五ないし三六八丁等)によれば、被告人Bが、被告人Aに対し、迂回融資の仕組みを含めJHLから運転資金の融資を受ける旨報告し、その都度被告人Aから了承を得、或いは指示されて、JHLに対し融資の申込みを行っていた状況が認められる。

これらの状況は、被告人Bが被告人AにDの経営状況等について報告し指示を受けている状況を窺わせる、「オーナー(被告人Aのこと)報告」「オーナー指導」などとの記載がある被告人Bの手帳、「Dの経営は、オーナーによる経営支配が強く、現B社長の経営が阻害されている。」旨の記載や、Oが、Dの役員会の席上、被告人Aからの伝言であると前置きして、右伝言を伝えていた旨の記載等があるT報告(甲五四、T・第二四回・一八七九ないし一八八四、一八八六ないし一八八九丁)その他のJHLの内部文書(弁四八)によって裏付けられる。

また、被告人Aが、本件融資中の平成三年一〇月一六日ころ、JHLを訪ね、C及びHらに対し、「Dの運転資金の件ではいつもお世話になっています。今後も迷惑をおかけしますが、どうかよろしくお願いします。」と挨拶をした旨のHの捜査段階の供述(甲二二)や、JHLは、環境の厳しい中小不動産業者のオーナーを支援し経営に専念させる趣旨で、前記のとおり七月に被告人A個人の納税資金を融資した旨のCの公判供述(弁二〇・二二、二三丁、第一一回・六四八丁以下、第一三回・九〇八ないし九一〇丁。同旨のものとして、弁四五・六五ないし六八丁)は、前記認定に沿うものである。

以上によれば、被告人Aは、両社の代表取締役を辞任した後も両社を実質的に経営していて、Dの存続及び経営に重要な影響を持つ本件融資に関与していたと推認され、右認定に沿う被告人Aの捜査段階の供述(乙二、四、六)の信用性を肯定できる。

なお、同被告人の弁護人は、犯罪事実別紙一覧表番号4の運転資金の融資に関して被告人Aに報告した具体的記憶がない旨の被告人Bの公判供述(第七回・二二六、二二七丁、第八回・三五一、三五二丁)を引用するなどして、右運転資金の融資に関する被告人Aと被告人Bとの共謀の事実を強く否定している(被告人Aの弁論要旨七六、七七頁)が、被告人Bのその余の公判供述(第七回・二二〇ないし二二二丁、第八回・三五二、三五三丁等)をみれば、前記指摘のように具体的記憶に欠けるとはいうものの、被告人AがDを実質的に経営していた状況等からして、同被告人の了解を得ずにJHLから運転資金の融資を受けることはないという趣旨であると認められるから、右共謀に関する前記認定は左右されない。

(二) Oらの公判供述

他方、Dの代表取締役辞任後の被告人Aは、殆どDに出社せず、Dの経営に関与していなかったなどとするOら弁護人申請証人の公判供述がある。

しかし、これらは、Dの経営に関する報告を受けるなど被告人AのDの経営への関与を全く否定するものではない(O・第四回・六九ないし七一、八〇ないし八二、八六、八七丁、花子・第五回・一〇二、一〇三、一二七ないし一二九、一三二丁)ばかりか、証人自身が、直接或いはOを通じて、被告人AにDの業務に関する報告・相談をし、右事項に関して被告人Aから指示を受けていたことなどを肯定するもの(M・第三回・二八ないし三三、三九、四四、四六、四七、五〇ないし五三丁)もあり、Dの経営に殆ど関与していない証人の供述も含まれていること(花子・第五回・九八、九九、一〇四、一二一ないし一二三、一三四丁、被告人B・第七回・二二一丁)をも考慮すると、被告人Aの弁護人の主張を的確に裏付けるものとはいえず、前記認定は左右されない。

4 被告人両名の弁護人は、被告人Aは、被告人Bらの経営手腕と力量を信頼してDの経営を同被告人らに任せ、いずれも不動産市況等経営情勢が好転して、同被告人らが必ずやDを立て直してくれるものと考えていたし、本件融資金を含む借入金の返済も可能と判断していた。被告人Bは、不動産市況の低迷が続いて地価の下落傾向が継続することになるとは予測し得ず、将来不動産市況が活発化することが予想された上、Dは同業他社に比べれば借入金額が多くないなど財務体質がそれほど悪くなかったから、JHLの支援の下、現状の不動産市況を前提とした収支改善計画も実施されれば、Dの営業で上げた利益により本件融資金を含む借入金の返済は可能と認識していた、被告人Bが平成四年に自己や妻の資金をDの資金繰り等のために提供したのは、Dが倒産することはなく必ず立ち直ると信じていたからであることなどを指摘して、被告人両名はDの経営が将来回復して本件融資金の返済が可能であると認識していた旨主張し(被告人Aの弁論要旨八五ないし八七頁(ただし、仮定論)、被告人Bの弁論要旨五六頁)、被告人両名も、公判でそれぞれ右主張に沿う弁解をし(被告人A・第七回・二五〇、二五二、二五三丁、同・第一三回・七八四以下、八一六ないし八一八丁、同・第二四回・一八三六ないし一八三八、一八五九丁、弁五七・九四八五ないし九四八七丁、五八・九四九一ないし九四九八、九五一七、九五二一、九五二二、九五三四ないし九五四〇丁、六〇・九六四六、九六四七丁、被告人B・第六回・一七五、一七六丁、同・第七回・二一七、二一八、二九〇ないし二九五丁、同・第八回・三七〇、三七一丁、同・第二三回・一七三四ないし一七四五、一七六五ないし一七七一、一七九七ないし一七九九丁等)、公判で、C及びIも、平成三年当時、いずれ地価や不動産市況が回復するとの見方が一般的であるとの認識を持っていた上、営業力があるDも、支援していけば再生可能で、その業況はそのうち回復すると考えていた(弁一六・二三丁、一七・一三、一八ないし二二丁、二〇・五八ないし六一丁、二一・二、五、一一丁、C・第九回・三九四ないし三九六、四七〇、四七一丁、同・第一一回・六五五丁、第一二回・六九七ないし七〇一、七一〇、七一一丁、第一五回・九一〇、九一一丁等)、収支改善計画は実現可能であって、右計画に沿ってDを支援しその再建を意図していた、不動産市況の回復、Dの営業力等を考えれば、長期的にはDの業績回復は可能であると認識していた(弁四五・三六ないし三八、四七、五二丁、四六・二八、三三、三四、四八丁、I・第一六回・九八五、九八八ないし九九一丁、同・第一八回・一二三九ないし一二四一丁、同・第一九回・一三四〇丁以下、同・第二〇回・一四八六ないし一四八八丁)などと、将来的には本件融資金の回収は可能であると認識していた旨供述し、その他の関係者の供述中にも、前記主張に沿うものがある(弁六一・九七一一ないし九七一三丁、M・第三回・一二ないし一四丁、T・第二四回・一八七七、一八七八丁等)。

しかし、これらは既に検討した点も含めて、関係証拠に照らすと、それ自体信用できないか、弁護人の前記主張を的確に裏付けるものとはいえないものなどであって、弁護人の右主張は採用できない。

二  Cら四名の任務違背及び本件融資がJHLに損害を与えることに関する被告人両名の認識

本件融資は、担保不足が僅かであったり、融資先の返済能力の減少程度が低いといった融資の是非の判断が微妙な形態とは異なり、D及び関係会社に返済能力がないにもかかわらず行われた実質無担保の高額な継続的融資であって、しかも、迂回融資の手法でなされるなど明らかに不自然な形態の融資であるところ、被告人両名は、これらの事情を認識していたことに加えて、長年取引社会に身を置いていて、メインバンクであった住友銀行その他の金融機関から融資等の支援を断られた経験も有していた上、被告人Aは、一旦JHLの融資担当者に断られた融資話をCに直接交渉して融資して貰ったことがあり、被告人Bは、前記のとおり証券会社における勤務歴もあり、Dの経理を担当していて、Kから、「毎月運転資金を出してやっているのはDだけですよ。」と言われた(乙一四・三六頁)ほか、平成三年二月ころまでの間に「担保がなければ、本当は融資なんかできませんよ。」などと再三聞かされ(甲三六・一八頁)、平成三年四月ころに、Iが本来このような融資はできないと言うのも当然と思っていて、Cら四名の任務違背の認識があった旨を認めている(乙一三・二二頁)から、被告人両名は、Cら四名の任務の内容について被告人両名なりの理解ができていて、本件融資の実行がCら四名の任務に違背するものであることは認識していたと認められる。

そして、被告人両名は、本件融資の前記性質からして、本件融資がJHLに財産上の損害を与えることの認識も十分有していたと認められる。

三  Cら四名に図利目的があることの被告人両名の認識及び被告人両名の図利目的

一、二の事実を前提にすれば、被告人両名は、本件融資を実行するCら四名の目的は、Dへ行ってきた数々の融資の実態等が対外的に明らかになって責任を追及されるおそれを回避するなどの理由で自己保身を図ると共に、Dの利益のためにその延命を図ろうとしたことにあるとの認識を有していたと推認され、被告人Bの捜査段階の供述(乙一三)は右推認に沿うものである。

そして、被告人AはDの実質的経営者であり、被告人Bは同社の代表取締役社長としてその業務全般を統括しており、被告人両名ともDの延命を図ることに利害関係を有していたから、本件融資の実行によって、D或いは自己の利益を図る目的をそれぞれ有していたというべきである(乙一三)。

確かに、被告人両名は、不動産市況の回復に期待してJHLに本件融資金の返済をしたい希望を持っていて、JHLに積極的に損害を与える意図を有してはいなかったであろうが、右事情で前記認定が左右されるものでないことは、これまで述べてきたところから明らかである。

四  被告人両名の共同正犯性

1  本件は、身分者の融資行為が特別背任として問われているので、身分者でない被融資者も融資担当者の行う特別背任行為である融資行為の共同正犯者といえるかが問題となるところ、被告人両名は、融資側のスキャンダル等の弱みにつけ込んで融資に応じさせたり、犯行計画や手口を具体的に指示するなど積極的に身分者の行為に加功したわけではないから、このような意味で、被告人両名の共同正犯性が肯定されるわけではない。

しかし、融資残高が大きい融資先への継続的融資では、たとえ融資先の経営状況が危ぶまれても、融資残高が回収不能になるのを避けるため、融資の申し込みには応じざるを得ない事情が融資側に生じることがあり(X・第一四回・八五三、八七一、八七二丁、C・第一五回・九一二ないし九一四丁、I・第二〇回・一五〇六丁等)、逆にいえば、被融資者は融資による利益を受けるだけでなく、それまでの累積的な借入によって融資担当者を右のような状況に追い込んだともみられるのであって、融資担当者と被融資者とは、法律的な立場としては対立していても、融資先の倒産等による影響が融資会社に及ぶだけでなく、融資担当者にも、それまでの継続的な融資を行ってきたことに対する社会的、民事的、人事的評価等の面で多かれ少なかれ影響が及び、刑事を別にしても、当該継続融資の責任を社会的、民事的に問われることもあり得るところから、融資を継続すること自体の利害が融資担当者と被融資者との間で共通化し、その意味で、被融資者に対しても、身分者である融資担当者が問われる融資行為による特別背任行為への共同正犯性を肯定できる基盤があるといえる。

これまでの認定事実を前提として、非身分者である被告人両名に、身分者であるCら四名との共同正犯性を肯定できるかを検討すると、Dは、JHLから継続的に融資を受けて多額の融資残高を有していて、単なる一時的な借受人などではなく、JHLと持ちつ持たれつの関係にある(乙三等)といえるような状態で、被告人両名は、Cら四名が、本件融資に応じなければ、Dに対する積極的な支援の結果としての巨額の融資残高が回収不能となって責任問題に発展するなどの苦境に陥る状況にあることを認識しながら、それに乗じ、本件融資に応じることはCら四名の任務違背になることも知りながら、JHLに本件融資を申し込んでいる。

しかも、被告人両名は、本件融資を含めJHLが昭和六二年一二月以降の継続的な運転資金の融資等積極的にDを支援してくれているにもかかわらず、前記のように支店の閉鎖、従業員の減少等の措置も執ってはいるが、経営改善の主な契機を不動産市況の回復待ちにしているだけで、被告人Aの意向で、平成二年五月にヘリコプターを割賦代金約三億六二三三万円(月額約七五五万円)で購入したり、平成三年二月には一五〇〇万円余りで乗用車を購入したり、事務機等も無秩序に導入したため、前記割賦金とリース料だけで固定費が月額二〇〇〇万円を超えるなど、経営体質改善の抜本的な動きを採らず(甲六六、七六)、収支改善計画も自ら率先して作成することはせず、Iらに再三要請されて形ばかりのものを作成しただけであるなどDの経営改善のための真摯な努力を払ってきてはおらず、融資返済の方策も十分講じずに漫然と本件融資等の支援を求めて、JHL及びCら四名を苦境に陥らせており、そのため、平成三年九月中旬ころに(甲二八・一〇四九丁)Dに出向いてきたIらにDの役員会の席上経営改善の努力をするように叱責されるなどしている(甲二八、乙一三等)。

加えて、被告人両名は、運転資金を絞り込むように申請していたJHLに隠れて、被告人Aの経営するVの利払資金をJHLから受けた融資金の中から捻出してVへ送金しており(甲五九、七一、九四、乙二一)、Dの資金管理を十分なしえないJHLの弱みにつけ込むことまでしている。

次に、被告人両名を個別にみると、被告人Aは、Dの発行済み株式の過半数以上の株式を有するなどしていたから、Dへの本件融資によって最も大きな利益を受けていたほか、Dの代表取締役であったころは、Dの事業拡大・業態変化を性急に推し進め、JHLの担当者レベルで難色を示された融資を、Cに直接掛け合うなどしていくつか実現させたのを機に、JHLがDを積極的に協力してくれるのを当てにして、昭和六二年一二月以降の継続的な月末運転資金融資を引き出し、高値の物件の購入資金等についても直接Cに対しDへの支援を要請する傍ら(乙二、三、被告人A・第一三回・八二六ないし八二八丁等)、昭和六三年一〇月ころベルナール・ビッフェ作の絵画一点(約一五〇万円相当)をCに贈り(ただし、その後Cから返還された(甲一五、一〇二、一〇四、乙三、五、弁一九・六九ないし七五丁、被告人A・第七回・二五八丁、同・第一三回・七九六丁以下、C・第一二回・七二一丁以下)。)、平成二年一月二九日付け日経ビジネスの中でCのことを「世に出てこの方、一番尊敬している。」と述べる(甲二〇、乙一四、被告人B・第七回・三二一丁、I・第一七回・一一六八ないし一一七〇丁)などCの歓心を買おうとしている。Dの代表取締役辞任後も、被告人Bからの報告を基に同被告人に指示し、本件融資を含む運転資金等の融資をJHLに申し込ませていて、迂回融資の方法(スキーム)も同被告人から説明を受けて了解したほか、個人的な納税資金のJHLからの調達も同被告人に指示しており、今後も従来どおり便宜ある取り計らいを受けたいとの思いから、花子らを通じて、平成二年一二月に高名な陶芸家製作の茶碗(八万円相当)、平成三年夏ころ裏千家家元直筆の掛け軸(約一〇〇万円相当)と前記陶芸家製作のお茶の道具の水差(二〇万六〇〇〇円相当)、同年暮れころ香合(一〇万三〇〇〇円相当)をそれぞれCに贈っている(甲一五、一〇二ないし一〇四、弁二〇・二、三丁、被告人A・第七回・二五八、二五九丁、C・第一二回・七二四丁以下)。また、これまでの間に、Dの在庫物件売却への協力、被告人A個人のDの増資新株払込資金の融資や前記法人税法違反被告事件に関する保釈保証金の融資先の斡旋まで要請し(甲七、一三等)、Dへの融資残高が巨額になったJHLがDへの融資を断ち切れない状況を作出したばかりか、平成三年一〇月一六日ころには自らJHLに出向き、Cらに対し融資の謝礼を述べた上、マレーシアでのゴルフ場開発への支援を依頼する(甲二二、六六頁、I・第二〇回・一四九三丁)など、Dが事実上経営破綻していた同年後半に至ってもJHLの支援を期待していた。

被告人Bは、一貫して被告人Aの意向に沿って行動し、Dの代表取締役就任後も、同社の実質的経営者は被告人Aであり、本件融資の利益が個人的に帰属するわけでもなかったが、Dの代表取締役就任前から主として経理の総括責任者としてDの経営に深く関わり、運転資金の申込み等に当たってJHLとの具体的折衝という重要な役割を果たしており、被告人AがDの代表取締役を辞任した後は、表に出られない被告人Aに代わってJHLへ融資を申し込み頻度も高くなり、Cらによる融資の実行を容易にさせるため、自らが代表取締役を務めるFを迂回融資の手順(スキーム)に組み入れることへの協力や、迂回融資に当たり担保を徴求した形式を整えるためFからJHL宛ての不特定債権担保に関する約定書等の文書を作成・提出するなどして、被告人Aの意向に沿いつつも、自らの判断でD側を代表する形で、一定の裁量をもって、交渉に当たりCら四名による本件融資の実行に積極的に協力している。

以上を総合すれば、被告人両名は、Cら四名と意思を通じた上、JHL代表取締役等の身分を有するCら四名の任務違背の行為を利用し、特別背任の図利目的及び故意をもって、犯罪事実記載の各犯行を実現しているから、共同正犯性を肯定できる。

なお、検察官は、Cと被告人Aの個人的関係を背景とする情実融資であることも、被告人両名の特別背任の共同正犯性を肯定する事情として主張する。

確かに、被告人Aは、前記のとおりCに贈り物をするなどしてその歓心を買おうとしているが、本件融資金額の高額さと対比すると、それらが本件融資に応じたCの動機となっていたとするには疑問が残る。しかも、被告人Aら関係者の供述をみても、被告人AとCの関係や本件融資が情実融資というに足りる実質を備えたものであったと十分解明されているとはいえないから、検察官の右主張は採用できない。

2 弁護人の主張

被告人Bの弁護人は、借受人の立場を中心として借受人の共謀の有無を判断すべきであるなどとして、融資の貸付人の背任罪の成立を肯定しながら、借受人の背任罪の成立を否定した裁判例(千葉銀行事件控訴審判決・東京高裁昭和三八年一一月一一日)を引用して、D側は、会社の財務内容を全て明らかにして可能な限りの融資を依頼し、担保や返済能力等の評価・判断についても貸付を行うJHLに任せていた(M・第三回・九、一〇丁、被告人B・第六回・一六六、一六七丁、同・第二三回・一七六一ないし一七六三、一七七一、一七七二丁、N・第二一回・一六〇一、一六一一、一六一二丁等)から、被告人両名に共謀と目される事態はないと主張する(被告人Bの弁論要旨三四、九七、九八頁)が、右裁判例は、本件と事案を異にしていて適切な先例とはいえない上、右裁判例等を前提にしても、被告人両名の共同正犯性を肯定した前記認定は支持されるものと解される。

第四  関係者の供述の信用性

一  被告人Bの捜査段階の供述の信用性

被告人Bの弁護人は、被告人Bが、公判で、捜査段階の供述について、本件融資金を返済できる目途があった旨の弁解を検察官に聞き入れてもらえず、検察官から理詰めで押しつけられて出来上がったもので、自己の本意に沿うものではないなどと供述する(弁五九・九五八三、九五八四丁、被告人B・第六回・一八〇ないし一八二丁、同・第二三回・一八〇七、一八〇八丁等)のを受けて、被告人Bの捜査段階の供述は信用性がない旨主張する(被告人Bの弁論要旨九一ないし九四頁)。

しかし、被告人Bの捜査段階の供述は、これまで述べた本件の客観的事実に沿い、信用性に疑義のない関係者の供述とも齟齬がない上、必ずしも判然としない字体で記載した自分の手帳の記載内容を自発的に解読して、右手帳の記載を裏付けとして具体的、詳細に事実関係を明らかにし、被告人Aへの報告・同被告人からの指示状況等他の証拠からは必ずしも明らかとならない事実も述べているほか、逮捕直後から一貫して本件犯行を認めた内容(乙二三、二四等)となっている。

しかも、被告人Bは、公判で、勾留質問の直前等捜査の初期の段階から、弁護人と数回接見し、事実でないものは認めなくともよいとの助言を受けたこと、取調べ検事はソフトな感じで、取調べの雰囲気も穏やかであったこと、調書の内容の一部について取調べ検事と議論して訂正を申し立てたが、取調べ検事の説明に納得して右申立てを取り下げたことなどを供述していること(弁五九・九五七三ないし九五七七、九五八六ないし九五九一丁、六〇・九六六七、九六六八丁、被告人B・第六回・一八〇ないし一八二丁、同・第七回・三二七ないし三三〇丁、同・第八回・三四五ないし三四七丁、同・第二三回・一七六七、一七六八、一七九九、一八〇九ないし一八一一丁)や被告人Bの経歴等を考慮すると、被告人Bの捜査段階の供述は信用でき、被告人Bが理詰めの尋問にあって意思に反した供述が録取されたといったものではなかったと認められる。

なお、被告人Aの弁護人は、Dの代表取締役を辞任した被告人AによるDの実質的経営の事実について言及する被告人Bの供述部分について、種々論難して信用性がない旨主張する(被告人Aの弁論要旨五五ないし六一頁)が、前記諸点のほか、被告人Bが、公判で、被告人Aに恨みを持つようなことはないなどと供述していること(第八回・三五八、三五九丁)からして、右主張は採用できない。

二  Iの捜査段階の供述の信用性

被告人Bの弁護人は、Iが、公判で、本件融資が無担保でないことや、収支改善計画の存在を検察官に訴えたのに聞き入れてもらえなかったばかりか、検察官から「悪いようにしない。」などと言われて、検察官に協力すれば場合によれば起訴されないかもしれないと考えて、検察官調書に署名・指印した旨供述した(弁五〇・九三六四ないし九三六七、九三七八、九三八五丁、I・第二〇回・一四八八ないし一四九二、一四九七ないし一五〇三、一五〇五、一五〇六丁等)のを受けて、Iの捜査段階の供述は信用性がない旨主張する(被告人Bの弁論要旨九1ないし九四頁)。

しかし、Iの捜査段階の供述は、前記認定の客観的事実に沿い、同人の調書に添付されている資料により客観的に裏付けられていて、他の関係者の供述とも齟齬がない上、逮捕直後から一貫して本件犯行を認めるもので、「資産勘定物件担保留保」という用語は自分の造語であるなど他の証拠からは必ずしも明らかとならない事実も含む具体的、詳細な内容である(甲二九・一一三二丁、一三一、一三二、I・第二〇回・一四九七、一四九八丁等)。

また、Iは、任意捜査のころから意に沿わない調書には署名する必要はないとの助言を自らの弁護人から受け、逮捕後も二、三日に一回は弁護人と接見して助言を受けていたほか、Iの捜査段階の供述内容は、I自身の刑事責任ばかりか、本件捜査当時、住専問題がマスコミ等に取り上げられるなど民事責任等の追及にまでつながる状況の中で右責任も認めるものであったこと(弁五〇・九三六一、九三六二、九三八五丁、I・第二〇回・一四九八ないし一五〇三丁等)等からすると、Iの捜査段階の供述は信用でき、Iが利益誘導等を受けて意思に反した供述を録取されたといったものではなかったと認められる。

三  その他の関係者の供述の信用性

被告人Aの弁護人は、被告人Aが両社を実質的に経営していた事実を肯定する、M、Nらの捜査段階の供述を種々論難して信用性に欠ける旨主張する(被告人Aの弁論要旨二〇頁以下)が、既に述べたとおり、被告人Aが両社を実質的に経営していたのは明白であって、弁護人の右主張は失当である。

(法令の適用)<省略>

(量刑の事情)

一  本件は、Dの実質的経営者或いは代表取締役社長の地位にあった被告人両名が、JHLの代表取締役Cら四名と共謀の上、Dの利益を図るなどの目的で、犯罪事実記載のとおり、平成三年八月から同年一一月までの間、四回にわたり、Cら四名において、各任務に背き、HLK・Fを介して返済能力のないDに対し、合計一八億七〇〇〇万円を貸し付けて、JHLに同額の損害を加えたという高額な不正融資の事案である。

犯行に至る経緯・動機をみると、被告人両名は、前記のとおり、業態の変更を図るDに積極的な支援をさせ、更に、経営状況悪化が次第に進行していたDへの月末運転資金融資を長期間継続させるなど、Cら四名をDに対する融資を断ち切れない状況に追い込みながら、Dの月末の資金繰りを図るため、右状況に乗じて、Cら四名に、経営が事実上破綻したDへの本件融資を決定・実行させたものであって、被告人両名の自己中心的な動機に酌量の余地は乏しい。

犯行態様は、本件融資が実質無担保融資であるとの実態を隠蔽するため、債権譲渡担保予約や資産勘定物件担保留保等形式的に担保があるかのような外観を作り出し、二社を介在させる迂回融資の手法を採るなど、巧妙で計画的であり、しかも、事実上の破綻状態にあって返済能力のないDへの高額な融資であるから、はなはだ悪質である。

被告人両名は、右態様やDに返済能力がなく経営回復の見込みもないことを承知した上で、JHLが迂回融資を実施するのに必要な措置をとり、本件融資をJHLに申し込み、JHLの犠牲において少なからぬ利益を享受する一方で、真摯にD再建への努力を行わないなど、それぞれ犯情が芳しくない。

本件犯行により、JHLは前記の高額な損害を受けているから、犯行の結果は重大であり、Dが平成八年一月に破産廃止決定を受け、Fも事実上の倒産状態にあるなど、JHLの被害が回復される見込みは全くない。

それにもかかわらず、被告人両名は、公判で種々弁解し、真摯な反省の態度を示しておらず、とりわけ被告人Aは、本件犯行に関与していなかったなどと不自然・不合理な弁解に終始しており、しかも、古く昭和四八年のものとはいえ道路交通法違反による懲役四か月、三年間執行猶予の前科を有する上、前記法人税法違反による執行猶予中に本件犯行に及んだものである。

以上によれば、被告人両名の刑事責任は軽視できない。そして、被告人両名の本件犯行に至る経緯及び本件犯行への関与状況、利益の帰属状況、被告人両名の関係・地位、前科等を考慮すると、被告人Aが被告人Bよりも責任が重いというべきである。

二  他方、特別背任罪の成立に必要な身分を有し、迂回融資の計画を練り上げるなどしたのはCら四名であり、本件においてはCら四名の自己保身等の目的も大きく影響している。被告人両名は、個人的な利欲目的や積極的にJHLに損害を与えようとの害意は持っておらず、資金繰りに追われて、Cら四名に本件融資を要請した側面があり、迂回融資工作に加担したりしてはいるもののそれ以上積極的に身分者のCら四名に加功したわけではない。

被告人Aは、独断的で大型物件に関する適切な判断力に劣り、結果的にはDを倒産に追い込んではいるものの、Dを急激に拡大させるといった優れた経営手腕を持っていて、経営者としてそれなりに社会に貢献してきた面もあり、本件と罪質の異なる前記法人税法違反の罪による執行猶予期間を経過している上、右有罪判決後はDの代表取締役を退くなど本件当時、従前に比べればDの経営から遠ざかっていて、本件後の平成四年に入って、前記マレーシアの事業に主力を移している(乙一二・三丁)。

被告人Bは、性格が大人しくて、被告人Aの独走を経理面から是正するといったこともできずに本件に至ったものの、罰金以外の前科がなく、平穏に社会人として生活してきた者で、真面目に職責を果たそうとし、また、私財も投入するなどしてDの経営に被告人Bなりに貢献してきていた。

その他にも、被告人両名は約六か月間身柄を拘束されていたこと、被告人両名の年齢・家庭環境等の事情も認められる。

三  そこで、以上の事情を総合考慮して、被告人両名にはそれぞれ主文掲記の刑を科して、その刑の執行を猶予するのが相当と判断した。

(裁判官野口佳子 裁判官上拂大作裁判長裁判官植村立郎は転補のため署名押印できない。裁判官野口佳子)

別紙

一覧表

番号

貸付年月日

(平成・年・月・日ころ)

貸付金額

1

三、  八、三〇

五億五、〇〇〇万円

2

三、  九、三〇

六億円

3

三、一〇、三一

四億二、〇〇〇万円

4

三、一一、二九

三億円

合計一八億七、〇〇〇万円

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